映画「サバイビング・プログレス – 進歩の罠」

映画「サバイビング・プログレス – 進歩の罠」
サバイビング・プログレス - 進歩の罠

科学とは何か?
進化とは何か?
生命とは何か?
人類は、どこから来てどこへ向かうのか?

ということを問いかけた、真面目なドキュメンタリー。

この画像は、完全に的外れ。損してますな。

全編に渡り、断片的な映像と、各ジャンルの専門家たちのインタビューからなる。

印象的だったひとつめは、
劇中で何人かが語っていた、「危険なのは、現在は、文明が一つしかないこと」ということ。

たしかに、世界史ではまず四大文明というものを習う。
それが徐々に進歩・交流を遂げることで、世界の歴史は形成されてきた。

急速な流通やインターネットの普及で、よく言えば「グローバル化」、悪く言えば「画一化」、
すなわち、文明がひとつしかなくなってしまったということは、
進歩するのも一緒であれば、滅びるのも一緒だということを意味する。

これを突き詰めると、文明とは何か、文化とは何か、という問題にぶち当たるのだけれど、
大まかにいって、このことは間違いないであろう。
なかなか面白い視点だと思う。

印象的だった二つめは、
人類の脳自体は進歩していないの対し、考えるべきことは急激に増加している、
これはつまり、五万年前のハードウェアに、最新のソフトウェアを積んでいるようなものだ、という発言。

これは脳だけの問題に限らないかもしれない。
例えば、石器時代のヒトによるサッカーチームと、レアル・マドリードが試合をしたとして、
絶対にレアルが勝つといえるだろうか。

野球とかスキーとか、技巧的なスポーツは、たしかに現代人の方が上かもしれないが、
単純な競技であればあるほど、現代人には不利であるかもしれないし、
そうでないと言える根拠もあまりない。

つまり、脳にせよ身体にせよ、「ヒト」という仕組み(ハードウェア)自体の性能には変化がないわけで、
ただ処理すべき内容が複雑になってきたために、OSのバージョンアップを余儀なくされている状況が、
何万年も続いているということになる。

これに関して、ひとつ興味深い事実を挙げるならば、
ネアンデルタール人は、現生人類よりも脳の容量が大きかったということが明らかになっており、
これは、コンピューターが進歩すればするほど小型化を目指すということに何となく似ている気もする。

けれど、繰り返すようだが、ハード自体は何も進歩しておらず、
若干の小型化がみられただけである。

果たして「ヒト」というコンピュータは、
度重なるバージョンアップに耐えきれず、いつかフリーズしてしまうのだろうか。

適正価格(劇場換算):1,200円

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