津軽の譜面(コピー)を、今まではクリアファイルに入れていたのだが、
量が増えてきたのと、持ち運びが重いので、別の形にしようと考えた。

西洋楽器では、よくスケッチブックに貼ることが多いので、その方法も考えたのだけれど、
その方法だと、「見開き(2頁)」がひとつの単位となるために、
曲の最初の頁が、見開きの左だったり右だったり、これがまた面倒くさい。

そこで考えたのが、全部の譜面をテープで横につなげ、蛇腹状態にすること。

これなら、3枚で一曲の場合でも、譜めくりすることなく、一覧できるし、
どこから始まろうと、自由自在だ。

だが実はそもそも、僕はあまり、練習に譜面を必要としない。
というのも、まずその曲の第一回目の練習で、暗譜してしまうからだ。

10代の頃に、ピアノ譜やらスコアを暗譜する訓練をしていたので、
単旋律の楽器の譜面を覚えるのが、こんなに楽だとは思わなかった。

それはさておき、プロの演奏家のことを考えてみると、
ロックだろうが、ジャズだろうが、三味線だろうが、ほぼ暗譜である。

クラシックでも、独奏やコンチェルトのソリストなども、みな暗譜である。

しかし、オーケストラだけは、全員譜面を置く。
その理由を考えてみた。

アマチュアならいざ知らず、プロのオケであれば、
各演奏者は、自分のパートを暗譜で弾くことなどたやすいはずだ。

ではなぜ、楽譜を見るのか。

ひとつには、楽譜に書き込まれた解釈要素を見たいから、ということがある。
しかし、プロであれば、その要素も含め暗譜することに、何の問題もない。

そこで僕が考えた理由は、

オーケストラは、譜面を置くことで、みんな平等に同じものを弾いているのですよ

というのを、アピールしているのではないか、ということだ。

ソリストの集合体がオケになるわけではない。
オーケストラは、指揮者という絶対君主の前で、
個を捨て、全体に奉仕しなくてはならない。
(誤解を与えるかもしれないが、オーケストラというものが
西洋の絶対王政の元で誕生したものである以上、このような性質は免れない)

全員が楽譜を見ることで、指揮者も聴衆も、
「ああこの人たちは<約束されたもの>を弾いてるんだ」
という、安心感が生じるわけである。

これはジャズの場合とは全く逆であって、
アドリブを生命線とするジャズにおいて、
各演奏者が楽譜を見ながら演奏していたらどうだろう。
それはもはや、ジャズではないし、聴いている側としても不満に違いない。

だから、オーケストラが楽譜を置くのは理解できるのだが、
僕にとって不可解なのは、指揮者と室内楽(三重奏や四重奏など、各パート一人のもの)。

指揮者がスコアを暗譜する、これはマストだと思う。
そもそも暗譜もせずしてその曲を指揮するなど、仕事の半分を放棄しているに等しい。
それができないのであれば、その仕事が向いていないということだ。

室内楽、たとえば弦楽四重奏などは、各パート一人のわけだから、
暗譜で臨んでもよいと思うのだが、これは伝統の呪縛であろうか。
どうか、弦楽四重奏やピアノ五重奏が、全員暗譜であることが普通になってほしい。
その方が演奏にとってプラスであって、マイナスになることは絶対にないと断言できる。

兎にも角にも、楽譜を見ながら練習、演奏することに、
何のメリットもないことだけは、強調したい。

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