今日は1月7日。といえば、七草粥。
せりなずな ごぎょうはこべら ほとけのざ すずなすずしろ 春の七草
と短歌形式で、学生の頃に覚えたものだが、
この五音・七音のリズムというのは、なにも和歌や俳句に限らず、
交通標語など、日本人には「心地よいリズム」として深く浸透しているようだ。
そもそも、なぜ和歌が「五・七・五・七・七」の形式になったかというと、
実はこれは、僕の卒論のテーマだったりするわけですが。
万葉集以前の古い和歌では、五音・七音というのはマストではなく、
むしろ四音や六音が普通だった。
よく、まじめに、「五音・七音の方が読むと心地よいからそうなった」と説明する人がいるけれども、
それはあくまでも現代人の感覚で、
昔は今のようにサラッと読むのではなく、長くの伸ばして「吟じて」いたのだから、
音数はそれほど問題にならない。
ではなぜ「四・六」が「五・七」になったのかといえば、
それは時代的な視点から考えても、間違いなく漢詩の模倣だったのだと思う。
漢詩というのは、五音(五言)あるいは七音(七言)の二種類があるわけで、
その形式をパクったのであろう、というのが、国語・国文学でも主流の考え方。
ukiyobanare的には、もう一歩踏み込んでみます。
すると、「なぜ漢詩は五音もしくは七音なのか?」という問題に突き当たる。
これについては、陰陽五行思想にもとづくから、というのが文学者の回答。
果たしてそれだけなのか?
五音と七音、、、、と考えていたら、ハッと思いついた。
中国を含め、世界各地の音楽の音階というのは、大抵が五音か七音でできているではないか。
(唯一の例外として、六音階というのもあった気がするが)
例えば、西洋音楽で言えば、ド~ドの1オクターブの間に、
白鍵は7、黒鍵は5。
なぜ、五音階と七音階が主流なのかは、音楽理論で説明できるのだが、こここでは省略。
音階と漢詩の音数。
これは果たして無関係なのだろうか?
我々は、漢詩を日本語として読み下すことに慣れているが、
当時の中国人は、かつての日本人が和歌を吟じていたように、
漢詩を吟じて(詠じて)いたはずだ。
となると、それは既に一種の「歌」なわけで、
そこに五音・七音の音楽理論が介入してきたであろうことは、容易に想像できる。
中国音楽の輸入である日本の雅楽も、例に漏れず五・七音階なのだが、
あるいは和歌の音数は、そこからの影響であった可能性もある。
いずれにせよ、和歌や漢詩を本来の「歌謡」として捉えなおし、
そこに古代音楽との関係を見出すことは、非常に有意義な研究になりそうだ。