「枕詞論」のためのメモ

「枕詞論」のためのメモ

いつの日にか「枕詞論」を書きたいと、つねづね思っているのだけれども、
書くのはもちろんのこと、参考文献を読むどころか、
手に入れるための時間さえないありさまなので、
ここにごく要点だけを書き留めたいと思う。

和歌といえば、今では専ら文学の領域になってしまっているが、
もともとは歌謡だったのであり、その音楽的側面を無視できないはずなのである。

思うに、音楽というものが今日のように、「独奏」を許すようになったのは、
それほど昔のことではないと思われ、

しかも音楽とはもともとは声楽であったことを合わせて考えると、
音楽の歴史の大部分は、複数の人々が唱和するという形式から成り立っているのではなかろうか。

現に我が国の古代においては、「歌垣」という風習があったことが判明しているのであり、
そのような祝祭的な場における歌の掛け合いというものが、
和歌の先駆けであったことは、ほぼ間違いないであろう。

二人、あるいはそれ以上の人々が言葉を紡ぐことによって歌謡が成り立っていたのだとすれば、
そこにおける枕詞の役割とは、
人から人へと歌が受け渡される際の、「接着剤」的な要素だったと考えられるのである。

次の者へと歌を受け渡す際に、
何の手がかりもなかったのでは、そこで連続性が途絶えてしまう可能性が高い。

そこでつまり、「枕詞」というヒントを与えることで、
続くフレーズをスムーズに出せるようにしたのではなかったろうか。

あるいは、遊戯的な性格の強い歌謡であった場合には、その逆で、
枕詞が一種の「謎かけ」として、続く言葉を「答え」として求めることによって、
その遊戯を続けさせたのではないだろうか(一種の連想ゲームの要領である)。

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