年末年始に思うことなど

・ある時期から、「年末感」のようなものが全く感じられないようになっていた。
その理由はいくつかあるが、ひとつはどうもテレビを所有しなくなったことが大きいように思う。
テレビをつければ、クリスマスソングが流れてきたり、晴れ着のタレントが映し出されたり、
良かれ悪しかれ、テレビというメディアによる季節感のコントロールというものが存在するに違いない。

・テレビのなかった時代であっても、昔の人はふとしたところに季節を感じてきたわけだが、
逆に言えば、現代ではテレビ以外で季節を感じるものが少なくなってきたのではなかろうか。
カレンダーで季節を感じるのも、本末転倒というか皮肉である。

・「しはす」に「師走」という漢字をあてるのは、個人的には好きではない。
他の十一の月と比べても、語感・当て字ともに明らかに異質である。
「極月(ごくげつ)」という言い方は、いかにもゴツゴツした感があるものの、
一年の終わりという感覚をうまく表現していて、キライではない。

・2015年は、自分としてはchallengingな一年だったように思う。
普通の人は経験しないような様々な仕事をしたし、
義太夫の稽古も本格スタート、某西洋楽器も始めたし、
よくもまぁ、いろいろとこなせたもんだと我ながら思う。
(家族の理解と協力があったことに感謝。)

・「後拾遺和歌集」の冒頭を飾る小大君の歌。

いかに寝て 起くる朝(あした)に 言ふことぞ 昨日を去年(こぞ)と 今日を今年と

勅撰和歌集の冒頭は、正月を詠んだものが多く、
大抵は、「み吉野の雪」というような、お決まりのパターンで慶賀を表すことが多い中で、
小大君のこの歌は、年の変わり目の期待と不安の入り混じった心情をストレートに詠んでいる。
「昨日が去年で、今日は今年で」という発想が、殊更におもしろい。

・ニューホライズンズは無事冥王星に到達したし、
ヒヤヒヤしたあかつきの金星周回軌道への再投入も成功した。
2016年は、これらが観測データを送り届けてくれることになっていて、
その結果が楽しみである。

・さて、自分にとっての2016年は、課題が山積みである。
10あるうちの、7つ8つをこなそう、などと思っていてはダメで、
課題をさらに見つけて、12ぐらいはやっつけようという気持ちで臨む必要がある。

・今年は、読書量をさらに増やしたい。
集中力をつけることで、今の2倍は読めると思っている。
インプットはアウトプットの源でもある。

・酒量は控えることにした。
アルコールのインプットは、碌なアウトプットにつながらない。