芸術とは何かについての実験的アプローチ

芸術とは何かについての実験的アプローチ

「アキレスと亀」「競技場」などで有名な「ゼノンのパラドックス」の1つに、「飛んでる矢は(実は)止まっている」というのがある。

その知名度とは裏腹に、数学的には厄介な問題を含んでいるのだけれども、「動的なものに(仮に)絶対静止を与える」という見方をしたという意味で、このパラドックスの示唆するところは、実に多い。

芸術はどこから派生したか、というテーマについて端的に述べることはとてもできないけれども、
「動いているものを、静止させた」という点に、そのルーツのひとつがあることは間違いない。

いや芸術だけでなく、うつりゆく季節、絶えず動く天体、目まぐるしく変わる天気・・・そうした「動的な」ものを理解するところから、科学というものもまた、スタートしたのである。

さて、動くものをまんまと平面の世界に閉じ込めることに成功した絵画であるが、
それに飽きてくると、さっそく自己矛盾が生じてくる。

自らの2次元の世界では物足りなくなってくるのだ。

そこでルネサンスの画家たちは、第3の次元、すなわち、遠近法による奥行きを与えた。

そして我が国では興味深いことに、第3の次元として時間(t軸)を与えることになる。
物語の進行に沿ってどこまでもつづられる「絵巻物」というのは、2次元の世界に時間軸を与えた、
「変則3次元」の芸術と言えるのではないだろうか。

これは別に昔に限った話ではなく、まさにそのもの「キュビズム」と呼ばれるピカソやブラックも然り、
カンディンスキーも然り、画家たちは、「失われた次元」を自らの作品に付与することに、躍起になっていたとも言える。

そもそも3次元の芸術である彫刻は、隠れた次元(t)をどれだけ想起させるかがカギといってもいい。

音楽は時間(t)が優先される稀有な芸術だ。
だからジョン・ゲージのような、それを逆手にとった音楽が生まれてくる。

もう一度絵画の世界に戻れば、「失われた次元」を求める動きの反面、
敢えてその窮屈な次元に閉じこもりたがる動きというもの、当然ながら存在した。

それが等伯や琳派に代表されるような、2次元の世界を突き詰めて、極度に抽象化をしようとするものであり、
それが今日でいう「デザイン」の原型であることは、ここでも何度か触れたことだと思う。

あらゆる芸術というものは、作品化された時点で、「次元」に関わらず何かしらを失うのである。
そのジレンマに悩むのが芸術家の苦しみなのであって、その「失われた何か」を脳内で補完することに我々鑑賞者の楽しみがあるといってもいい。

作る側の悩みと、受ける側の楽しみ・・・次はそんな視点の芸術論も、アリかもしれない。

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