古びた道具で、心の底を、
ぐいっ、ぐいっ、と掘り起こしてくる・・・。
それが僕のシャガールのイメージ。
だから「怖くて見れない」って、数か月前に書いた気もする。
あらためて言葉にしてみれば、それはおそらく、
「幼児期に誰もが経験したような原初的な恐怖体験を呼び起こす」
ような感覚と言えるかもしれない。
今でも覚えてる。まだ4~5歳のころ、遠出して車で帰宅するのに、
太陽がどこまでも追いかけてくるのに怯えて泣いたことがある。
そう、シャガールの画は、その時の感覚に似ている。
でも、どこか憎めないところがある。
色遣いでもない、テーマでもない、造形でもない、
もっと根本的なレベルで、楽しさもまた感じさせてくれるのだ。
それは例えば、シーレやクリムトといった、
ウィーン世紀末の画家たちの暗さとは全く異質だ。
つまりさっきのような「コワイ」幼児体験と、
でも実際は「楽しかった」体験とが表裏一体となり、
夢というか記憶と言うか、そんな曖昧な感覚の中に、
観る者を引きずり込んでゆく。
かといって、シュールでもアブストラクトでもなく、
では何なのか?と問われたら、
まさにそれこそ「アート」としか答えようのない、存在感。
奥が深い、というか、底が深い画家だと思う。