2011年4月

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「装飾する魂」(鶴岡 真弓)

ある意味において、芸術とは装飾する行為のことである。 そうであるならば、装飾と本質とは本来不可分なものであり、 装飾を理解することが本質の解明につながる。 逆もまた、然り。 本書では、古今東西、 縄文土器からプッチーニのオペラの演出まで、 あらゆるタイプの「装飾」を紹介・検証。 こういう博物誌的な書物は、僕の大好物である。

映画「ツーリスト」

久々の映画鑑賞。 ドンデン返し系サスペンスは難解になることが多いのだけれど、 この作品は極めて明解。 シーンの大部分がヴェニスを舞台にしているというのも、 なかなか洒落ている。 良い悪いは別として、 アンジェリーナ・ジョリーの存在感は流石。 逆にジョニー・デップはあまり魅力を出せず、 アンジェリーナの陰に回ってしまった感じ。 期待していなかった分、楽しめた。

「鳥居」(稲田 智宏)

珍しい鳥居の紹介と、 挙句には鳥にまつわる古代神話に紙面を費やして、 鳥居のルーツへの踏み込みがなかったことに、 やや不満。 個人的には、もともとは「神居」(カミイ・カムイ)で、 それが「鴨居」(カモイ 地名として何か所か存在している)になり、 さらには誤写かあるいは元の意味が忘れられて、 「鳥居」と書かれるようになったのではないかと思ったりしている。 あの形は「天」という文字を象ったものというの […]

「日本語の語源」(阪倉 篤義)

別に語源なんて知らなくても、 生きてゆく上で不自由はない。 でも”ukiyobanare”的には、 こういう本に白羽の矢が立つ。 語源の詮索というものは、かなり自由度が高い。 だから極端な例では、 日本語の大部分は韓国語が元になっている、 などというトンデモ珍説が次々に出現する。 語源を考えることは、なぜ難しいか。 例えば、神(カミ)と上(カミ)は、 一見同源の語のように見 […]

「セザンヌのエチュード」(ジャン=クロード・レーベンシュテイン)

こういう読みづらい本は困る。 原文が悪いのか、訳文が悪いのか、 自分の読解力がないのか。 個々のセンテンスで云わんとしていることは分かるのだけれども、 文章全体として見ると、よくわからない。 全体の構成力(レイアウト)に優れたセザンヌのエッセイとしては、 皮肉としか言いようがない。 内容としては、 セザンヌの人間性や彼を取り巻く環境にスポットを当てたものとなっていて、 作品の本質に踏み込んだもので […]

スーラとエーテル ~印象派とは異なる光の捉え方~

私はエーテル信者である、などと言うと、 まるで宇宙人の存在を信じているというのと同じぐらいに、 奇異な眼で見られるに違いない。 でも、かつて「空っぽ」だったと思われていた真空に 「真空エネルギー」が見つかったように、 光を伝える媒体は、 もしかしたらそれは「エーテル」という名では呼ばれないかもしれないが、 必ずや存在すると思っている。 印象派の画家たちが光を描いたのであれば、 スーラはまさに「エー […]

「孤猿随筆」(柳田 国男)

動物関連の著作のみを集めた、 柳田国男の随筆集。 古来、日本人が野生の動物とどのように関わりをもってきたか。 学問的に裏付ける文献は少ないながらも、 「狼史雑話」などは単に読み物として十分楽しめる内容になっている。 「モリの実験」は、 彼が飼っていた秋田犬の習性を記録したもので、 何とも微笑ましい気分にさせてくれる。

「マゼラン 最初の世界一周航海」

世界一周には遠く及ばないが、 東京・福山間の新幹線での往復で読み終えた。 激しい覇権争いを繰り広げていた当時のスペイン・ポルトガルにおいて、 ポルトガル人のマゼランが、 スペイン国王の命を受けて航海に出た意義というのは、 それが「歴史上初の世界一周」であった事実以上に大きなものである。 大船団を組んだものの、 帰国したのはわずか18名。 船上で、そして停泊先で一体何が起きたのか。 帰還メンバーの1 […]

「古語雑談」(佐竹 昭広)

我が枕書である「岩波古語辞典」の編纂者の一人、 佐竹昭広先生の著。 国語学の何たるかを、ここまで簡便に、 しかしながら情熱をもって伝える書物はそう多くはないだろう。 万葉集・記紀から西鶴まで、 著者の想像力と探究心とが、 古語の姿を明らかにしてゆく。 伝統的な学説にに縛られ過ぎず、かといって逸脱し過ぎず、 心地よいバランス感覚で綴られた良書だろう。