二子の本屋で時間を潰していたら、目にとまったんで、
「Casa」を買ってみた。
最近は日本中のあちこちに、
キレイな美術館が建ち始めている。
流行りなのは、良く言えばコルビジェ風というか、
悪くいえば無機質というか、
まぁ、「洗練された」建築が殆どである。
そこで、例によって美術館と美術の関係について考えてみたわけだが、
今週はまだアルコールを一滴も飲んでいないので、
そこそこ頭が働く。
この両者の関係は、
所謂「ハードとソフトの問題」として片づけるわけにはいかない気がする。
外観・内装・機能性……、
美術館にとって重要な要素はいくらでもあるけれども、
個人的に重視したいのは、コンテキストというか、
その「場」と作品がどれだけ調和するか、ということ。
たとえば、どんなに素敵な、日本家屋風の美術館があったとしても、
そこにセザンヌやゴッホを並べたのでは、なんの意味もない。
日本家屋の木材の温もり、畳の香り、障子から差す淡い日の光…
それらを味方にして最大限に輝けるのは、
やはり日本画であり、日本美術なのである。
別に「Casa」を批判するわけではないが、
だからいくら、こんな素敵な美術館ができました、と言ったところで、
それが中の作品とどのように調和しているのかを語らなければ、
それは単なる「建築」の紹介にすぎない。
別に美術館ではなく、
それが首相官邸でも刑務所でもよいことになる。
そうではなく、あくまでも「美術館」としての価値を知りたいのであれば、
やはりその「場」と「作品」の調和具合を確かめるしかなかろう。
つまり、美術館の価値は、
「どのような企画展を開催しているか」ではなく、
「どのような常設作品を所蔵しているか」
にかかっていると言ってもよい。
最近は海外の著名作品を中心にした企画展ラッシュであり、
国立新美術館のように、
所蔵品を持たない美術館まで登場するようになっている。
こんなものは「美術館」を名乗る資格などゼロであり、
単なるイベントホールである。
それをもってナショナルミュージアムなどと名乗るのは、
日本の文化水準の低さをアピールしているようで、恥ずかしい。
一方、国立西洋美術館はどうだろう。
足を踏み入れると、まずは神妙なロダンが出迎える。
横手の階段を登っていくと、そこはまるで回廊である。
荘厳且つ広々とした空気の中で、
絵が生き生きとしているようだ。
これならば、ジヨットでも、レオナルドでも、マティスでも、
あるいは芳崖でも、間違いなく調和する。
同じナショナルミュージアムでも、
両極端な例を挙げてしまったが、
どうも最近の美術館ブームは、
前者の方に向かおうとしている気がしてならない。
美術館なんだから、
別にオシャレなカフェが併設されている必要はない。
意味のない池とか噴水もいらない。
各自が所蔵している作品を、
どうしたら最大限輝かせることができるか、
それを考えることが、美術館設計者の使命である。
だから美術館のデザインは、
いわゆる「建築家」だけでは務まらないのかもしれない。