鑑賞用でも、儀式用でもなく、
触られ、抱かれて人を癒す、文字通り「癒し系」であるのが、
円空仏の特徴である。
展示ごとに、「Please do not touch.」と書かれていたが、
そのとおり、まさに触りたくなるのだ。
触る、というのは、単純ではあるが、
直接的、かつ効果的な肉体的体験である。
幼児がぬいぐるみを抱くことで癒される、あの感覚である。
仏教では、密教の秘儀や修行以外では、
「お経を唱和する」というのも、肉体的体験のひとつなのだと思う。
だがそれは、触るということの刺激には、到底およばない。
仏教において忘れられていた、この触る、という感覚、
それこそがまさに円空の目指したものだったろう。
小型の仏像・神像で、表面がすべすべになっているものが多いのも、
それらが、人々に触られ続けてきた証しであろう。
円空仏を眺めていて感じることは、
何となく土偶に似ているということだ。
シンプルでプリミティブな表現の中に込められたエネルギー。
そういえば、土偶というのも、触るにはちょうどよい大きさだ。
もしかしたら土偶も、円空仏同様に、
縄文人たちに撫でられ、抱かれていたのかもしれない。