三連休の初日ということもあり、予想以上の混雑。
初詣みたいなもので、特に絵が好きではなくても、
日本人ならなんとなく、正月には浮世絵を観なくては、という気持ちがあるのかもしれない。
というか、そのような心理を狙った企画展なのだろう。

確かに、浮世絵だけでこれだけの点数を集めたことには、価値がある。

当然江戸時代には、浮世絵師以外にも、若冲や蕪村、狩野派などのすぐれた絵師はいたわけだが、
観る側からすると、やはり楽しいのは浮世絵。

特に、美人画というジャンルが、浮世絵の真骨頂であることに、異論がある人はそうはあるまい。

美人画とくれば、春信、清長、歌麿。
この三人が描く美人画は、とにかくズバ抜けている。

 

美人画

表情、体の曲線、着物の色合い、ポーズ、いずれをとってみても、一級品だ。

近くで鑑賞していた人が、「美人っていっても、みんな同じ顔をしてるわね。」なんて言っていたけど、
馬鹿言っちゃいけません。

美人を顔で見分けるなんてのは、野暮ってもんです。

上に書いたような、表情やしぐさ、着物、髪型などの総合によって、美人は存在している。
むしろ、そこに作者の狙いがあるのだし、
そこに気付かないのであれば、ただ絵を眺めていても時間と金の無駄である。

美人画の話はこれぐらいにしておき、
今回一番感銘を受けたのは、北斎の「端午の節句」という肉筆画。

 

美人画

江戸随一の変人であり、アーティストであった北斎に、
どのような作品があっても、そうは驚かない自信はあったが、
流石にこれには度肝を抜かれた。

大胆にして精緻。
そしてなんとも前衛的な構図。

割と予定調和的な浮世絵群の中にあって、この一点だけが、明らかに異彩を放っていた。
1844年、北斎最晩年の作。
やはり天才とは、いつでも想定を超えたボールをぶつけてくるものだ。

一通り鑑賞を終えて、あえて物足らない点をあげるとすれば、
「大浮世絵展」と銘打っておきながら、土佐の生んだ異端の浮世絵師・絵金の作品が一点もないとは、
これまたどうしたことか。

同じ異端の絵師でも、岩佐又兵衛あたりは、だいぶ評価されるようになってきているが、
絵金はまだまだ難しいのだろうか。
彼の作品を、東京で観たことは一度もない。

江戸のような「ごった煮」の文化、特に浮世絵なんかを真に理解するには、
まさに絵金のようなアウトサイダーに、もっとスポットライトを当てるべきだと思うのだが。