2015年7月

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「進化とはなにか」(今西 錦司)

  ダーウィン進化論の両輪ともいえる、 「自然淘汰」と「突然変異」をバッサリと否定し、 個体ではなく種レベルでの進化を考えるべきである、という主張は、 実に明快であり、40年前に書かれたとは思えないぐらい新鮮に感じられる。 著者による一例をあげよう。 たとえばコウモリについて考えてみると、 コウモリは哺乳類であるので、祖先は四足歩行をしていたはずで、 それがどのようにして翼を獲得したのか […]

七夕の夜に

日本人なら、いつもよりは少しは星空について考えてみたくもなる七夕の夜、 厳密にいえば、2015年7月7日の夜から9日にかけて、 星空にまつわるニュースがいくつか飛び込んできて、 ひさびさにパソコンの画面に釘付けになった。 ・金星探査機「あかつき」が、再投入に向け軌道修正 ⇒金星といえば、暴走温室効果による灼熱地獄のイメージが強いが、 地球とサイズがほぼ同じで、兄弟ともいえる惑星だ。 なにせ環境が環 […]

フォーレ「レクイエム」

普段の生活では全くといっていいほど、音楽を聴かないのだけれど、 ふいに記憶の底から蘇ってきて、 しばらくの間、耳の奥というか頭の中で鳴り止まないときがある。 それは、2Pacだったり、Sean Paulだったり、伊賀越道中双六だったり、 ブラームスだったりするわけなんだけど、 この間は、フォーレの「レクイエム」がきた。 たぶんもう、20年ぐらいまともに聴いてないし、 そんな曲が、何がきっかけで急に […]

「古代への情熱」(ハインリッヒ・シュリーマン)

  10代の頃から、色々な大人に読め読めと勧められていた気がするが、 遂に読まずにこの歳まできてしまい、 たまたま古本屋で見つけたので、 それこそ遺跡を発掘したような気分で読んでみた。 そもそも僕が勘違いしていたのは、 この本はシュリーマンの自伝だと思っていたのだが、 純粋なる自伝部分は最初の四分の一ほどだけで、 残りは他人による、シュリーマンの他の著作からの引用を中心とした、 発掘活動 […]

「漱石を売る」(出久根 達郎)

  作者は直木賞作家らしいのだが、失礼ながら名前すら存じ上げず、 ただタイトルに魅かれて読んでみた。 作者の本業?は古本屋の主人ということで、 古本屋の日常にまつわる内容を中心とした、50編ほどのエッセイから成る。 正直、毒にも薬にもならない本とはこのこと。 感動もないし、感心もない。 そもそも、エッセイなのに書き振りが明らかにフィクションぽい。 万が一これが実話だったとしても、 フィク […]

映画「ダウト・ゲーム」

映像作品を鑑賞するのも、そして当然ここに書くのも、 実に久しぶりである。 たまに仕事から早めに帰れたときには、 駅前のツタヤに寄ってDVDを物色したこともあったのだが、 それほど観たいものがなかったということの他に、 借りて帰って家のPCでDVDを観ても、 途中でスマホをいじったり本を読んだり、 何かと雑念が湧いて集中できないだろうということで、 結局借りずに帰宅していた。 やはり映画は、映画館と […]

「語前語後」(安野 光雅)

  たまには軽い文章を読んでみようと思って。 ひとつが5行ぐらいからなるエッセイ集。 最近で言うならば、twitterでのつぶやき集みたいなイメージ。 それにしても、デザインとかアートの世界で成功している人は、 どうしてここまで文章が上手いのだろうといつも思う。 凝っているわけではないのだけれども、なんというか、 センス、そうセンスがある。 グラフィックというのは、言葉を使わずに思いを伝 […]

「我が子を喰らうサトゥルヌス」

芸術とは、須らく美しくあるべきなのか。 だとしたら、そもそも美しいとはどういうことなのか。 内容なのか、形式なのか。 形式的な美しさであれば、すぐに理解できる。 では、内容的な美しさはどうなのだろう。 作者・作家が真実を吐露することが、 内容の美しさにつながるのか。 その場合、形式的な美しさを伴う必要があるのか、 そうではないのか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ 禅問答と一 […]

「東洋天文学史」(中村 士)

  数をかぞえるだけなら、おそらく類人猿にもできるだろう。 ヒトが科学という武器を手に入れ、文明を築き上げることができたのは、 数をかぞえることに加えて、 「周期性」を発見し、理解したことにあると思う。 日の出・日の入の数をかぞえ、 「季節」という概念を生み出すこととともに、農業を発展させ、 農業は支配者を生み、支配者は暦を作らせることで、 さらに統治を強力にする。 つまり、文明における […]