まぁ色々とあって、美術館に足を運ぶのもだいぶ久しぶりになってしまった。

このブログを遡って確認したら、ちょうど半年ぶり。

観たかった美術展もいくつか見逃してしまったけれど、

「絵画鑑賞に飢えた状態」

を作り出すには、ちょうどいい期間だったのだと前向きに捉えることにしよう。

そんな状態にとっては、モネという画家は最適だった。

セザンヌほど理知的ではなく、ルノワールほど官能的でもない。
ほどほどの美しさと、ほどほどの感傷。

「好きな画家を挙げて」と言われたら、モネの名前を出すことはない、と自信を持って言えるが、
でもなんやかんやで、一番目にしている画家かもしれない。

そして観るたびに何かしら発見がある。
やはり超一級の画家だということだろう。

要するに今回は、軽いリハビリのつもりで、
そして何か発見があって、また僕の美術心を揺さぶってくれれば、それでよし、
というぐらいの気持ちで出掛けたというわけ。

本展覧会の目玉は、この「印象、日の出」。

「印象、日の出」

美術史に少しでも触れた人ならば、
これが記念すべき印象派の元祖であることは知っているだろうし、
僕も図版では何度となく見てきたけれど、直接お目にかかるのは初めてである。

第一印象は、想像していたよりもずっと、太陽が鮮明に描かれていること。

おそらく照明に強調されていたせいもあるだろうが、
この太陽はまさに強烈な「印象」だ。

太陽をここまで鮮明に「主役」として描いた作品は、なかったかもしれない。

絵としてはちっとも良くはないけれど、この日の出は一見の価値アリ。

さて、モネといえば「睡蓮」。

本家オランジュリーのものにはお目にかかっていないが、
それ以外のものは結構見た中で、正直あまり好きな絵はなかった。

でも、今回の「睡蓮」は、格別だった。

「睡蓮」

抽象画へと至る一歩手前、
印象派の本来の理想はここにあったのではなかろうか。

ルノワールにせよ、マネにせよ、シスレーにせよ、
光に拘ったばかりに、光の呪縛から逃れることができなかった。

光とは、モノの形とは関係なく存在するものだということを証明したのは、
皮肉なことに、視力を失った晩年のモネではなかったか。

「バラの小道」

この「バラの小道」もさきほどの「睡蓮」と同様、
ここには光と色だけがある。

そしてこの狂気のアーチが、観る者を中へと誘い、吸い込む。

文字通り、吸引力のある絵とはこのことで、
何の解説も必要なく、ただただ見とれてしまう。

そして、今回僕が一番好きだったのが、この「キスゲの花」。

「キスゲの花」

ゴッホの強烈なひまわりでもなければ、ルドンの華麗なブーケでもなく、光琳の斬新な燕子花でもない。

ただ、モネによる美しい花である。