「厚」という字を見ると、「厚い本」というように、
物理的に厚いことを第一に思い浮かべてしまう。
あらためて字典で調べてみると、
「厚意」「厚顔」「厚情」「厚生」「温厚」など、
物理的ではなく、「あつみがある」という意味で使われるのがほとんどである。
「重厚」というのは、ちょっと見たところは物理的な厚さのことのようだが、
「重厚な作品」という使い方のように、実際はやはり「物理的ではない厚さ」の場合が多いようだ。
「濃厚」という熟語でも同じく、感覚的な意味で使われているわけだが、
「濃厚」という言葉は、「淡泊」と反対の「こってりしている」という意味で使われる場合の他に、
「可能性が高い」という意味でも用いられる。
「あの候補の当選は濃厚である」
といった場合、別にその候補者の顔が暑っ苦しいわけではなく、
「間違いなく当選するだろう」ということであって、
よくよく考えてみると、なるほど、とは思えるのだけれど、
一方で、「こってりしている」というのと「可能性が高い」というのを、
同じ熟語で表さなくてもよい気もする。
まぁ、漢字の世界というのは奥が深い。
要するに、この「厳選辛口 吉乃川」の味が「濃厚である」ということが言いたかったわけだが、
それはもちろん「可能性が高い」ということではなくて、
「しっかりしている」という意味である。
「辛口」であることと「濃厚」であることは、矛盾しない。
そういえば、「辛口」という言葉も、「厳しいことを口にする」という意味があるから、
「今度の担任の教師は、辛口であることが濃厚である」
なんて言われると、もう味のことなのやら何やら、訳が分からなくなる。
訳が分からなくなったところで、この文章も終わりにしよう。