仕事を疲れを癒すには、絵を観るか音楽を聴くにかぎる。
(同じ音楽でも、演奏の方は逆効果。)
天気のよい週末なので、30分待ちぐらいは覚悟していたのだが、
思いのほか、会場内はガラガラ。
両国で開催されているレオナルド展の方に人が流れているのだろうか。
さてボッティチェリというと、ルネサンスを代表する画家という、
「世界史の授業的な」知識のみが先行し、
どんな本にでも載っている「ヴィーナス」や「プリマヴェーラ」ぐらいしか思い浮かばず、
しかもどちらかといえばクセの強い作風という印象だった。
でもこの展覧会は、僕のそんな薄っぺらいボッティチェリ観は修正するには、
十分な内容だった。
彼の作品を一度に集中的に観ることで、あのクセは実は魅力溢れる個性であり、
人間の真の姿を描きだそうという、ルネサンスの根本精神が、
一枚一枚に溢れている。
レオナルドのように厳しすぎることもなく、ラファエロのように柔らかすぎることもなく、
いわば「しなやかな」絵筆遣い、そして職人芸ともいえるディテールへのこだわり、
これらが混ぜ合わされた独自の美の世界を、見事に構築している。
まず取り上げたいのは、この2枚の女性の肖像。
両方ともに、当時絶世の美女と讃えられたシモネッタを描いたとされるのだが、
ここにこの画家の魅力が凝縮されているといっても過言ではない。
あの「ヴィーナス」や「プリマヴェーラ」のような、
大袈裟ともいえる虚構設定はここにはない。
女性の美しさを、ごくシンプルに、けれど最大限の効果をもって描けばこうするしかあるまいという、
圧倒的な説得力があるではないか。
特に左のシモネッタの、儚さと美しさがギリギリのラインで共存しているような表現は、
驚くほど近代的で、後世のモディリアーニをも彷彿とさせる。
対して、右のシモネッタは、髪や顔の描き方にこの画家の特徴がよく表れているが、
ドレスの質感表現や、右胸から右腕にかけてのアクセントの付け方が素晴らしい。
今回の出展の中では、「書物の聖母」の方が有名であるようなのだが、
僕の好みは、断然こちらの「バラ園の聖母」。
これは是非、実際の展覧会で観ていただきたい。
おそらく照明の当て方に工夫がされており、
この作品の色使いや質感の魅力を、引き立たせてくれていて、
画面や本で観た印象とは全然異なることに、驚くに違いない。
「聖母子」という題材は、日本人には理解が難しいものではあるが、
それを一般化して「母と子の愛情」と置き換えてしまえばどうということはない。
母親に抱かれる子供の安心感といった視点で眺めたとき、
この絵の構図は腑に落ちる。
脚を開いた聖母の姿が、後ろのアーチと相俟って、
重心を下に配置することに成功していて、
それが観る側に何ともいえない安心感をもたらしてくれるわけだ。
聖母子像は、抱かれる子供の体の比率に不自然さが目立つ作品が多いのだが、
これには、その不自然さはない。
床の大理石表現にも、ディテールへのこだわりが見て取れる。
そして最後は、「アペレスの誹謗(ラ・カルンニア)」。
これはまぁ、「教科書的な知識」しかなかった僕にとっては、
「いかにもボッティチェリ的な」作品だったわけで、
けれどあらためて凝視してみると、
ひとりひとりの独自ポーズのデッサンは見事だし、そしてその(カラーも含めた)配置バランスにも、
入念な設計が読み取れる。
そして全体を同時に鑑賞して構図を楽しむだけではなく、
右側から左側へ視点を移しながら眺めていくと、
また違った面白さが発見できると思う。
(左上へと発散させられた鑑賞者の視点は、どこへ向かうのか・・。これは不安なのか、快感なのか・・。)
この画家の、並々ならぬ手腕が発揮されている意欲作といえるだろう。