「五○億年の孤独 宇宙に生命を探す天文学者たち」(リー・ビリングズ)

 

ある時期から、太陽系外の地球型惑星を探す、
というのがブームになっているわけだけれど、

その裏側にある様々な問題点や、
学者たちの活躍・奔走ぶりなどを、
エッセイ風に描いた本。

ただ僕としては、ここでも何度か書いているように、
「もうひとつの地球探し」には、あまり価値を感じられず、

地球以外の天体で生命が見つかり、
万が一それが知的生命体だったとしても、
「だからどうした?」ぐらいの感想しかもてないと思う。

「仮に」生命がいる天体があったとして、
「仮に」それが見つかったとしても、
そこへ行く手段はないわけだし、

「仮に」それが知的生命体だったとして、
「仮に」コミュニケーションが取れたとしても、
それでどうなるというのだろう??

批判を受けるのを覚悟して言うならば、
地球外生命を探している学者は、正直予算の無駄使いだし、

彼らの中には、無意識のうちに(あるいは意識的かもしれないが)、
リスクの少ないゲームをしているという安心感があるのではなかろうか。

つまり、見つからなかったら見つからないで、「やっぱりね」で済む。
一方、生命の兆候「らしき」ものが少しでも見つかれば、
それは一般大衆への分かりやすいアピールとして、
大ニュースになりうるからだ。

だが、そもそものところ、
必死になって「地球型惑星」を探している人々の最終的な目的は、
地球が滅びる前に、ヒトをそこへ移住させること、なのである。

要するに、自分勝手のご都合主義なわけで、
新大陸を「発見」し、原住民を殺戮しまくったスペイン人と、
基本的には何も変わらない。

いまそんなことに金と時間と頭脳を浪費するぐらいなら、
地球がヒト自身の手によって滅びるないように、

温暖化問題とか、地震予知とか、疫病対策とか、戦争回避とか、
やるべきことは山ほどある。

僕に言わせれば、人類が月に行ったことでさえも、
まったく意味のないことであって、
それは、その後誰も行こうとしないことからも明らかである。

生命がいかにして誕生したかについての定説すらなく、
地球上のどこかで、毎日のようにヒトがヒトを殺しているような状況で、

地球以外の生命を探そうとすることは、
狂信的行動と政治的プロパガンダ以外の何物でもないのではなかろうか。

もう一度言おう。

「万が一エイリアンが見つかったとして、で、どうするんだい?」