ミッドタウンなんて、いまやサントリー美術館ぐらいしか行かないから、
えらく久しぶりだなと思って、このブログで調べてみたら、
最後に行ったのは2年半も前か・・・。
連休の中日とはいえ、ミッドタウンも昔ほど混雑はしていないだろうと思ったら、
混んでないどころか、ガラガラの閑古鳥状態。
地方都市の百貨店か?と目を疑いたくなるほどの空きっぷりで、
客よりもインフォメーションのお姉さんの方が多いのでは、というレベル。
なんやかんやで、六本ヒルズの方が、
映画館もあるし、手ごろな飲食店もあるし、不思議なカルチャー感あるし、
ミッドタウンは、サントリー美術館がなければ、、という感じかな。
とりあえず空いている中で美術鑑賞できるというのは願ったり叶ったりなわけで、
本題に入ろう。
狩野元信は、「狩野派」の2代目で、
一番有名(?)な狩野永徳の祖父に当たる。
狩野派が盤石な地位を築けたのは、この人の技量のお蔭とも言われているのだが、
なるほど、と思わせてくれる作品がいくつかあった。
まずは、「真山水図」。

特に画面右側の岩山の立体感がすばらしく、
近くでみると、本当に前面に飛び出して見えてくる。
セザンヌがサント・ヴィクトワール山を描いた何百年も前に、
全然違うジャンルで、こういう表現法を切磋琢磨していたというのは、
さすがという他あるまい。
ところで、西洋の風景画というのは風景を客観視しすぎる嫌いがある。
いやもしかしたらそれが普通なのかもしれないのだが、
中国や日本の山水画というのはその逆で、
自分がその中に入って、画中の人物とともに自然に対峙するような感覚にさせてくれる。
つまり、風景は客観であって主観であるような、
それを「西洋は自然を征服」し「東洋は自然と一体化する」などと表現するのは凡庸だけれど、
自然観の違いなのか、芸術感の違いなのか、
それともその両方なのか、
今度時間をかけてゆっくりと考えてみたいと思う。
例えば、伝・元信の「山水図」の一部を拡大したものなのだけれど、

左端に描かれた室内にいる人物は、
我々がこの絵を眺めているのと同じように、山水画を眺めているのである。
そしてその山水画にもまた、
同じように山水画を眺めている人が描き込まれているのかもしれず、
まるでマトリョーシカのように、
どこまで微分していっても、自分のコピーがそこにいる・・・
これもつまりは、観る側を作品の中に引きずり込む手法のひとつなのだろう。
そして、今回一番度胆を抜かれたのが、この「四季花鳥図屏風」だ。

実はこれはCanonの「綴プロジェクト」による複製品なのだが、
そのことはさておいたとしても、
とにかくここに描き込まれた動植物や、水流、岩などの表現が、
来るべき江戸美術の黄金期を先取りしていることに驚かされる。
作者の名を伏せてこれを見たならば、
思わず若冲かあるいは琳派の絵師の名前を挙げてしまうのではないかというぐらい、
当時からしてみたら、奇抜かつ斬新であったに違いない。
しかも、山水画のような「漢絵」が本職であった元信が、
このようなデザイン要素の強い「やまと絵」にも並々ならぬ腕前を持っていたということに、
再度驚かされるのである。