ダイアナ妃が執務室に作品を飾っていたとか、
日本美術界の権威だった黒田清輝を殴ったとか、
マッカーサーが厚木に降り立ったとき、
真っ先に「吉田博はどこにいる?」と言ったとか、
様々なエピソードに事欠かず、
もちろん画家としても一流の腕前だった吉田博であるが、
日本での知名度は、なぜかそれほど高くない。
しめしめ、これは展覧会も空いているに違いないと思ったのに、
実際はその逆で、
お盆中にもかかわらず、(この美術館にしては)それなりの混雑であったのは、
嬉しいような、悔しいような。
けれど辟易するほどの混みようではなかったので、
ひとつひとつの作品は十分に鑑賞することができた。
吉田博の優れている点は、
水彩・油彩・版画のそれぞれのジャンルにおいて、
異なる個性の秀作を残していることだろう。
一見似てはいるものの、
表現手法の面からも、この3つのジャンルはまったく別物であるし、
技術も感性も、全く異なるものを要求される。
そんな吉田博の作品の中でも、
僕的には水彩画が一番好きかもしれない。
まずは、「雨上がりの少年のいる風景」。
![「雨上がりの少年のいる風景」(吉田博)](https://i0.wp.com/ukiyobanare.com/wp-content/uploads/2017/08/ameagari.jpg?w=640&ssl=1)
この独特の空気というか、
観る側と対象との間に漂うエーテルのような媒質が、
非現実世界というか、夢のような感覚を創出している気がする。
次の「堀切寺」もそう。
![「堀切寺」(吉田博)](https://i0.wp.com/ukiyobanare.com/wp-content/uploads/2017/08/horikiri.jpg?w=640&ssl=1)
まるで晩年のモネのような、空気と形の一体感。
もうひとつ、「日光」。
![「日光」(吉田博)](https://i0.wp.com/ukiyobanare.com/wp-content/uploads/2017/08/nikkou.jpg?w=640&ssl=1)
どこか懐かしい、おとぎ話のような穢れのない純朴な世界は、
油彩では強すぎる。
これは水彩ならではの特徴であり、
それを個性として表現できているこの画家は、やはりタダ者ではない。
続いて、油彩。
水彩とは逆に、こちらはリアリズムの世界であり、
一瞬の動きや色、光の加減を、いかに描ききるか。
「雲叡深秋」。
![「雲叡深秋」(吉田博)](https://i0.wp.com/ukiyobanare.com/wp-content/uploads/2017/08/aki.jpg?w=640&ssl=1)
構図といい、岩の配置と水流のバランスといい、
そして色合い、動(=水)と静(=岩)のコントラスト、
どれをとっても非の打ちどころがない。
「穂高の春」。
![「穂高の春」(吉田博)](https://i0.wp.com/ukiyobanare.com/wp-content/uploads/2017/08/hotaka.jpg?w=640&ssl=1)
吉田博といえば、山の画家でもある。
特に、山肌のさまざまな表情を、
まるで生き物のように描いていて、
この「穂高の春」はかなりオーソドックスだけれども、
厳しい自然と待ちわびた春の感じがよく表れていて、
好きな作品のひとつ。
「雲海に入る日」。
![「雲海に入る日」(吉田博)](https://i0.wp.com/ukiyobanare.com/wp-content/uploads/2017/08/unkai.jpg?w=640&ssl=1)
山並み、空気、雲、そして夕陽のなす線が、
まるで有機物のように一体化し、
しかもダイナミック(動的)な感覚も損ねていない。
あの幻想的な空気感を表現した水彩画の画家と、
果たして同じ人物なのかと目を疑いたくなる。見事。
そして、水彩・油彩を極めた吉田が、
最後に辿り着いたのが、木版画だった。
江戸伝来の浮世絵を否定しつつも、
学ぶべきところは学び、
そして旧来の版画が実現しえなかった、
絵画的表現手法を大胆に採り入れた。
傑作が多すぎて、どれを紹介してよいか迷うが、
まずは、「帆船 朝」。
![「帆船 朝」(吉田博)](https://i0.wp.com/ukiyobanare.com/wp-content/uploads/2017/08/hansen.jpg?w=640&ssl=1)
同じ構図で、「午前」「午後」「夕」「霧」というのもあるのだけれど、
この「朝」が一番よい。
版画なのに眩しくなるような光の表現と、
それを透かす帆の感じが、心地よい。
次は、「神楽坂通 雨後の夜」。
![「神楽坂通 雨後の夜」(吉田博)](https://i0.wp.com/ukiyobanare.com/wp-content/uploads/2017/08/ugo.jpg?w=640&ssl=1)
題材は浮世絵風だが、
例えば、雨に濡れた地面などは、
江戸の浮世絵にはなかった表現の仕方であり、まさに絵画的といってよい。
暗い中に浮かび上がる灯りの感じも、
雨後の夜の空気を上手く表現していて、
雨を直接描くことなく、雨を伝えてくれる。
広重に見せてあげたい一枚。
こんな作品もある。「スフィンクス」。
![「スフィンクス」(吉田博)](https://i0.wp.com/ukiyobanare.com/wp-content/uploads/2017/08/sfinx.jpg?w=640&ssl=1)
スフィンクスを題材にしているということがまず珍しいのだが、
その岩肌の表現が、かなり大胆だ。
北斎が見たら大喜びするだろうな、これ。
砂漠の強烈な日差しを浴びて、
複雑な色合いを見せるスフィンクスの横顔と、
前景のキャラバンの対比が面白い。
「朝日 富士拾景」。
![「朝日 富士拾景」(吉田博)](https://i0.wp.com/ukiyobanare.com/wp-content/uploads/2017/08/asahi.jpg?w=640&ssl=1)
正統的な作品であるが、
横幅70cmの版画というのは、もはや離れ業に近い。
そしてよく見ると、
後ろの富士山と、手前の木々や池の表現の仕方が、
まるで異なることに気付く。
おそらく刷り方における何らかの工夫をしているのだろうが、
富士山をすっきりと目立たせることに、見事に成功している。
「渓流」。
![「渓流」(吉田博)](https://i0.wp.com/ukiyobanare.com/wp-content/uploads/2017/08/keiryu.jpg?w=640&ssl=1)
一見して、これが版画なの?と思ってしまうぐらい、
とにかく水の表現が凄まじい。
解説によれば、水の流れは吉田自身が彫ったのだという。
版画ではないが、この水流の表現には琳派の遺伝子が垣間見える。
そして最後は、「中里之雪」。
![「中里之雪」(吉田博)](https://i0.wp.com/ukiyobanare.com/wp-content/uploads/2017/08/yuki.jpg?w=640&ssl=1)
最初これを観たとき、とにかく触りたかった。
これは誇張でもなんでもなく、
触ったら、そのまま指に雪が付いてきそうな気がしたからだ。
水墨画のような枯淡の世界であるが、
版画でここまでの雪の質感を出せるとは。
ということで、かなり満足度の高い展覧会であった。
日本でも、もっと吉田博の作品が観られるようになることを、切に願う。