家族間での呼び名といった身近な問題から、
古語の助動詞「む」の読み方や音便といった、やや専門的な事柄まで、
国語に関する諸問題を集めたエッセイ。

その他、外来語、送り仮名、辞書、語源、慣用句、仮名遣いなど、
日常使ってはいるものの、ほとんど気に留めないような内容に、
鋭い考察を加えていて、かなり読み応えがある。

この本の中で特に力点を置いて語られているのは、

日本語には、「やまとことば」「漢語」「外来語」が入り混じっており、
さらにそれらが、「やまとことば=ひらがな」「漢語=漢字」「外来語=カタカナ」という使い分けではなく、
様々な文字で表記されるという複雑さ

ということで、
似たような現象は、他国の言葉にも見られることではあるけれども、
ここまで馬鹿正直にというか、生真面目に、「国語」として取り込んでいる言語は、
他に類を見ないだろうと思う。

しかも厄介なことに、「国語」というからには、
それを教育の場で用いるに当たってのルール化が必須となる。

文法と呼ばれるものならまだしも、
たとえば、送り仮名や仮名遣いといった、
少し考えただけでも例外が山のようにありそうなものを、
如何にしてルール化し、教育の場に持ち込むのか。

こういった話題についても逃げることなく(?)触れていて、
とにかく面白い。

もう1つ、この本で紹介されていたサンプルで成程、と思ったのは、
これは語彙の問題なのだが、

日本語には「若い」という形容詞はあるが、
これと対になる形容詞が、なぜか存在しない、ということ。

仕方なしに、「年取った」とか「年寄りの」とか「年老いた」という言い方をせざるを得ない。

こんなところにも、日本語の不思議が潜んでいることを思い知らされた。