十代の頃から古文・漢文が好きで、
大学もその道に進んだ。
好きなのは今も変わらないが、
何に惹かれるのかを考えてみると、
ひとつには音律の美しさ。
現代文にはない、韻文的な魅力がある。
でも何よりも大きいのは、その内容の深さだろう。
どちらが良いとか悪いとかではなく、
あきらかに古代人は現代人よりも、人生について考察していた。
現代ならばググれば一瞬で済むことを、
昔の人は何日も何年も深く考え、
さらに先人の書物に答えを求め、
とにかく「考える熱量」という意味では、
現代人の比ではなかった。
だから当然、彼らの書く文章も、
その深さにおいては現代人の比ではない。
それが、僕が古典を愛する最大の理由だ。
特に中国の古典ともなれば、
戦乱にまみれ、王朝が目まぐるしく変わる中を生き抜いた、
知恵と警告に溢れている。
それを「一日一言」として、366のフレーズを、
前後の文脈も含めて紹介している本書は、
まさに人生の指南書と呼んでも過言ではなかろう。
そこで思うのだが、
こういう本を、毎日の通勤時間帯に1日1ページでも読むことによって、
それだけ人生の幅が広がることは間違いないのだが、
でも電車の中の人たちの大半は、
スマホに向かって血眼になっている。
いや、それが悪いとは言うまい。
だけれども、こういう先人たちの「人生の知恵」を、
知らずして人生を過ごすのは、
同じ人生80年がもったいないと思わないのか?
まぁ、思わない人のことはどうでもいいや。
少なくとも、僕はそう思う。
だから毎日コツコツ読書をする。
同じ人生なら、「知る」に越したことはない。