第十九番歌

【原歌】
難波潟短き蘆のふしの間も
逢はでこの世を過ぐしてよとや
(伊勢)

【替へ歌】
蘆生ふる水際に沈む冬の日の
短き世かな難波潟の暮れ

十九・二十番歌は「難波」シリーズ。

原歌は、

難波潟に生える蘆の節の間のような、
ほんの短い間でさえも、
恋しいあなたに逢わずに過ごせというのでしょうか、

という意味で、
前半は丸々序詞になっているわけだが、

替へ歌では、

蘆の茂っているあたりに沈む冬の日のような、
短い我が人生、と、

「冬の日」というワンクッションを挟むことで、
叙景的要素を増してみた。

あと、原歌はいかにも、
この女流歌人らしい恋の歌なのを、

冬の日とともに人生が終わるのを、
嘆く内容に変更した。

第二十番歌

【原歌】
わびぬれば今はたおなじ難波なる
みをつくしても逢はむとぞ思ふ
(元良親王)

【替へ歌】
逢はむとも逢はでも同じわびぬれば
あても難波の身を尽くしつつ

原歌は言うまでもなく、

「身を尽くし」と「澪標」(水路の標識)との、
掛詞が見所なわけだが、

替へ歌ではそれに加え、

「あてもない」と「あても難波」という、
新たな掛詞も追加した。

それにしても原歌の、

今はどうなっても同じなので、
この身が尽きてもあなたに逢いたい、

というのはかなり情熱的で、

それをストレートに詠んでしまっては、
やや食傷気味になるところを、

「難波なるみをつくし」という、
お決まりの歌語を混ぜることで、
うまくマイルドに中和させていて、

(僕が言うのもおこがましいが)
百人一首でも屈指の名歌になっている。

なので、替へ歌の方でも、
そのパッションはなるべく継承すべく努力した。