第三番歌

【原歌】
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
ながながし夜をひとりかも寝む
(柿本人麻呂)

【替へ歌】
あしびきの山鳥千鳥都鳥
色とりどりの初夏の街かな

第三・四番歌は、歌聖による二首で、
替へ歌など畏れ多いことこの上ないが、
まずは人麻呂のこの歌。

言うまでもなく前半は、
後半冒頭の「長い」を導くための序詞であり、

替へ歌の方でもその構造は壊さず、
原歌の持つ「鳥」のイメージを、
鳥の名前を列挙することで誇張し、

後半の「色とりどり」の部分を、
半ばダジャレ的に導いている。

そして、鳥の羽根が「色とりどり」であるかのような、
ファッションに溢れた初夏の街、というように、
後半で現代にタイムスリップするところにも、
面白みを持たせた。

第四番歌

【原歌】
田子の浦にうち出でて見れば白妙の
富士の高嶺に雪は降りつつ
(山部赤人)

【替へ歌】
白妙の雲より漏れる一筋の
光に騒ぐ田子の浦浪

この歌は、相当悩んだ。

というのも、
いざ替へ歌にしようと思っても、
完璧すぎて、アレンジの余地がない。

さらっとした主観(「うち出でて見れば」)から、
雄大で高貴ともいる叙景の後半に、
「白妙の」という枕詞で連結しているわけだが、

一見単純そうに見えて、
実に心憎いまでに計算された歌だと思う。

なので、ここは小細工せずに、
叙景歌として読み替えた。

「白妙の」という枕詞を、
「雲」にかかる用法とし、

雪ではなく光が空から降ってきて、
それが波の泡立ちを際立たせている、
という歌意。