最近、オーケストラの曲を聴く機会は随分減ったが、
この曲だけは、ほぼ毎日のように聴いている。

協奏曲というのは、言うまでもなく、
ソロ楽器+オーケストラで演奏される曲なわけで、

当然ながらピアノ協奏曲は母数も多いし、
その分、名曲も多いわけが、

ピアノ以外の楽器の協奏曲となると、
いわゆる「名曲」の類は、極めて少なくなる。

チェロ協奏曲でいうならば、
モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスといった大御所が、
一曲も残していないのが、痛い。
(ベートーヴェンには、ピアノ&ヴァイオリン&チェロの三重協奏曲があるが、
とても聴けるレベルではない駄作なので問題外)

ボッケリーニ、ハイドン、ドヴォルザークの、
いわゆる「三大チェロ協奏曲」の中では、

僕はハイドンの2番(ニ長調)が昔から好きで、
ついこないだまでは、
ドヴォルザークなんて気にもかけてなかったのだけれど、

ふとした機会で、たぶん20年ぶりぐらいにじっくり聴いてみたら、
あぁ、これは何たる名曲!

それからというものは、
youtubeにある限りのあらゆる演奏を、
毎日のように聴いてきましたよ。

どこをとっても隙がないぐらいの名曲中の名曲だと思うのだが、
僕なりのポイントは、第一楽章の第二主題、

あの一回目はホルンの雄大な響きで奏でられ、
二回目はチェロ独奏で歌われるメロディー、

あの第二主題を、あっさりと通過してしまうのは、
いかにも勿体ない。

かといって、
ロストロポーヴィチ&カラヤンみたいに演出たっぷりにやられると、
逆に胃もたれがするわけで、

そこで僕のお気に入りは、
デュ・プレ&チェリビダッケのこれ。

正直、デュ・プレというチェリストは、
アイドル的に神格化されてたり、バッハを弾いてなかったりで、
食わず嫌いの状態だったのだけれど、
この演奏は、心の底から脱帽した。

たとえばフルニエにしてもシュタルケルにしても、
もちろん素晴らしい演奏なんだけれど、
何というかちょっと気取ったところがあるというか、

反面、デュ・プレの演奏は、
出だしから熱い。

そして例の第一楽章第二主題は、
止まってしまいそうなぐらいまでテンポを落とし、
大胆な「揺れ」を作るのだが、
曲としてのアウトラインは、決して失っていない。
(この辺りは、マエストロ・チェリビダッケの手腕だろう)

デュ・プレには、これ以外にも確かジョージ・セルと、
あとは夫でもあるバレンボイムとの共演もあるが、
僕が好きなのは、断然これだな。
(バレンボイムとのは、モノクロのライブ録画が残っていて、
フィナーレに珍しいアクシデントがあるのが、ちょっとした見所ではあるが)

デュ・プレのことはさておき、曲に戻ると、
第二楽章は「Adagio ma non troppo」、
要するに、「ゆっくりでいいけど、やりすぎんなよ」ってことなんだけど、

曲の響き自体がそもそも牧歌的なので、
確かにあまりに遅くしすぎてしまうと、
グダグダになってしまう可能性がある。

それにこのあとに「濃い」フィナーレが待っているので、
第二楽章はサラッと切り抜けるのが正解なんだろう。
(そういう意味では、デュ・プレのは、ちょっと遅いかも)

そしてそのフィナーレ。

斉奏のあとに、チェロで弾かれるテーマで、
どれだけ勢いがつけられるかがポイントだと思うのだけれど、

ここでデュ・プレは、とても女性とは思えないぐらいの、
奔放さを超えた荒々しさでもって入ってくる。素敵すぎる。
(ここで例のバレンボイムとのライブでは事件発生)

この楽章の魅力というか、不思議なところは、
普通、協奏曲のフィナーレって、

それまでの鬱憤(?)を晴らすかのように、
一気に駆け抜けるパターンが多いんだけれど、

この曲の凄いところは、そういうお決まり事は無視して、
まるで独立した曲のように、かなり自由な構成にしてるんだよね。
(少なくとも、僕にはそう思える)

たぶんその辺りが、
昔はこの曲をあまり好きになれなかった理由だったのかもしれないが、

今は逆にそれがたまらないというか、
このフィナーレにしてこの曲あり、というか、
この曲が名曲たるゆえんは、まさにこの楽章にあるんだろうな。

特に後半の、ヴァイオリンのソロとチェロ独奏が絡むところを経て、
再度テーマが戻ってくるあたりななんかは、
まさに痺れる。

そしてその後にぐっとテンポを落として、
コーダに向かうところとか、悪くいえば冗長なんだけれど、

ここまで来ると、
少しでも長くこの曲に浸っていたいと思えるから不思議。

ということで、少し褒め過ぎた感はあるが、
この名人による名曲の名演奏をぜひ聴いていただきたい。