なぜ和歌は、
五音・七音で形成されるのか、
という、
大袈裟にいえば、
日本文学最大のテーマともいうべき難問に、
音韻学の立場から、
鋭く斬り込んだ一冊。
いやぁ、マジで勉強になりました。
僕も含めた、
国語・国文学系の人たちは、
(たぶん)「書かれた文字」にのみ、
注目しがちになってしまい、
それがどのように読まれたか、
あるいは詠まれたか、については、
疎かになりがちなわけだが、
本来、というか、当たり前に、
和歌とは発声されるものであったわけで、
本書のように、
言語学や音韻学の立場から、
その本質を追究することこそが、
正当であるといえよう。
まぁ、僕の知識が浅薄なせいなのだろうが、
唯一、???と思えたのが、
日本語を、何が何でも、
二音の律拍に分解しようとしている点。
言語や音楽において、
西洋は三拍子文化で、
我が国は二拍子文化というのは、
よく言われることではあるが、
果たして、
どのように詠じられた(あるいは謡われた)かが、
厳密には分からない古典和歌において、
二音の律拍という前提を、
絶対の物差しとして考察を進めてよいものか、
そこは気になる点ではあった。
しかし、説得力と、
ロジカルさという点では、
僕的にかなり評価したい。
大学の学部の教材にしても、
十分な内容を具えており、
時間の余裕さえあれば、
もう2、3回は、
読み直すべき本だと思った。
ここからは、余談。
以前、義太夫節を、
少し習っていたことがあったわけだが、
三拍子の節はほとんどなく、
基本は、二拍子で語られ、
そのリズムに合うように、
間(休符)も取られる。
そんなこんなを思い出しているうちに、
近世の浄瑠璃の語り方を研究することで、
逆に、古典和歌の本質に迫れるのでは?
と思えたりもするわけで、
いずれにせよ、
文字面だけの文学研究には限界があり、
やはり語り・詠み・謡い、
という発声行動においてこそ、
文学の核心が、
見えてくるのではないだろうか、
とぼんやりと考えている。