「宇宙の原理は数学という言語で記述されている」
(ガリレオ・ガリレイ)
「経験とは独立した思考の産物であるはずの数学が、
物理的実在とこれほどうまく合致するのはなぜか」
(アルベルト・アインシュタイン)
これらの言葉に代表されるように、
科学者達は、この宇宙を、
見事なまでに数式で表現してきた。
しかも「何となく合っている」ではなく、
「ほぼ完璧」にだ。
まだ記憶に新しい、
ヒッグス粒子の発見のように、
理論で予測したことを、
実験という形で、
この世界が「まさに然り」であることを、
科学者達は証明し続けている。
天文学における具体例を語りつつ、
なぜ宇宙には、
そのような共通の法則(数式)が存在するのか、
について、
語っている本書なわけだが、
著者の専門分野ということもあり、
本来のテーマよりも、
天文学について、
多くを語りすぎているという、
偏りがあるのは否めない。
本書の結論としても、
なぜそうなのかは、
謎のままにしているわけで、
要は、そのようなギモン・好奇心を持つことで、
科学は進歩しているんですよ、
そういう世の中の不思議に、
みなさんも興味を持ちましょうね、
ということなのだろう。
自分としては、
内容的には物足りなかったものの、
考えさせられたことがある。
それは、鶏か卵か、ではないが、
宇宙と物理法則のどちら先なのか、
ということ。
量子トンネル効果で、
宇宙が生じたのだとすれば、
宇宙誕生以前に、
物理法則が存在していたことになる。
けれども、
現在の膨張宇宙を、
巻き戻した末に辿り着く「高温高圧宇宙」においては、
もはや物理法則は成り立たない。
つまり、
法則に従って宇宙が誕生したわけだから、
宇宙には共通の法則がある、
と考えるのか、
宇宙という存在があり、
その中での法則なのだから、
どこでも同じ法則が通用するのだ、
と考えるのか、
という違いだ。
本書ではそれを、
「禅問答」と表現しているが、
まさに、
「空即是色」「色即是空」
の世界観なわけで、
いっそのこと、
この宇宙をプログラミングした「神」がいるのでは、
と思いたくもなる。
ただ自分としては、
宇宙にエントロピーがある以上、
必ずスタートがあったはずで、
となれば、その宇宙を生み出した、
物理の力がそこにはある、
と思いたい。
つまり「まず物理法則ありき」、
の考え方である。
そう考えると、
なぜこの宇宙に共通の法則が存在するのか、
というギモンは、
あえなく解決する。
なぜなら、その法則こそが、
宇宙を作ったわけだから。
その代わり今度は、
「ではその物理法則はどこから来たのか」
という別のギモンが生じてくる。
・・・・
とまぁ、
結局は禅問答なのかもしれない。
でもこういうテーマについて考えることが、
この上ない娯楽だったりもするわけです。
でもこれは、
宗教からの脱却を目指したはずの科学が、
最終的には神の存在を仮定したくなるような、
ギリギリのテーマなのかもしれませんね。