「私たちは宇宙から見られている?」(ポール・マーディン)

 

タイトルは刺激的だけど、
中身はオーソドックスな惑星科学についての本。

このブログで何度も口にしている、

新刊科学書は女房を質に入れてでも買え

という格言通りに、期待に胸を膨らませて読んだのだけれど、
これ、原書が出たのはちょっと前なんじゃないかな・・。

ニューホライズンズやフィラエのことにはまったく触れてないし、

最新の説というよりも、
既知の事柄をうまくまとめた、教養学部の教科書といったカンジ。

天体物理学に比べて、天文学とか惑星科学とか、
もちろん宇宙生物学も、随分と遅れをとってしまっているように思うのは、

やはり理論が先行して、実験や観測がそれに追いついていないという、
近代科学にありがちな現象が顕著であるからだろう。

地球以外に生命は存在するのか、ということについての僕の考えは、
存在することは間違いないだろうが、
それが発見される必要はない、というものだ。

発見されなければ存在しないのと同じじゃないか、
という意見もあるだろうが、それならそれでも構わない。

僕は決して悲観論者ではないのだけれども、
ヒトという生物は排他的であることにその特徴があるのだと思っており、

おそらく地球外で別種の生物を見つけたとしても、
(故意であろうとなかろうと)その種に対する悪影響の原因を作ってしまうだろうことは、

自分たちの住むこの地球の環境さえもコントロール不能になっている現状から、
想像するに十分である。

いま何かと火星への有人飛行が話題になっているが、
火星に住んでいるかもしれない微生物やバクテリアは、
それを望んでいるだろうか。

火星をテラフォームすることなんか、
結局は地球人のエゴであって、
地球外生命を見つけたいと思うことも、それと同じ。

論点は、コロンブスのアメリカ大陸発見から、
何も進歩してはいないのである。

何度も言うように、僕はそれを悲観しているわけではなく、
ヒトとは畢竟、そういう生物なのであろう。

だからあるいは、我々が広大な宇宙の中で孤独であるかもしれないことも、
そうであるように仕組まれているのではないかと思いさえする。

科学の進歩と行き過ぎたエゴとのバランスをどこで取るのか、というのが、
地球外生命体探しの裏に隠されたテーマであると考えている。