先月だったか、
未だ梅雨の明けないとある夕方、
家の前の路地で、
目の前を一匹のヒキガエルが横切った。
東京とはいえ、
別にヒキガエルなど珍しくもないのだが、
コロナ禍により、
数か月も家に籠りきりだったこともあり、
普段とは違った、
愛情というか、好奇心を含んだ眼で、
その姿をしばらく眺めていた。
カエルといえば、
『日本書紀』の応神天皇十九年、
帝が吉野へ行幸した際、
地元民の歓待を受ける場面があるのだが、
そこでは彼らを以下のように記している。
その人となり、甚だ淳朴なり。
常に山の菓を取りて食ふ。
また蝦蟇を煮て上き味とす。
名付けてモミと曰ふ。
タンパク質の乏しかったであろう山中のこと、
カエルを食すことぐらい、
意外でも何でもないように思うのだが、
『紀』にわざわざ記されているということは、
都びとにとっては、
驚きの対象であったのだろう。
確かに、いざカエルを食べるとするならば、
鳥や魚と同じように、
焼くのが無難なのではないかと思うれ、
煮るというのは、想定外かもしれない。
でもまぁ、水炊きやふぐ鍋のように、
身を細かく、あるいは薄く切ってしまえば、
食べられないことはないのか…。
でも「蝦蟇を煮て」と書かれると、
何となくカエルをそのまま丸ごと、
煮え立ったお湯に入れるのを、
想像してしまうのは、不思議だ。
その後はよく知られているとおり、
筑波山の「蝦蟇油」のように、
江戸時代には塗り薬として重宝されたわけだが、
翻って、西洋の「カエル事情」はどうだったのかと、
手元にあるプリニウス先生の『博物誌』を繙いてみたところ、
あちらでもどうやら、
カエルは様々な用途で活躍していたらしい。
なかなか傑作も多いので、
その一部を紹介してみよう。
カワガエルの肉を食べるか、
それを煮詰めた煮汁を飲むと、
アメフラシやヘビの毒を消す。
調合に葡萄酒を用いると、サソリの毒を消す。
デモクリトスは言っている、
生きたカエルから他の肉を少しもつけずに、
その舌を抜き取り、
そのカエルを逃がしてやった後、
それを眠っている婦人の動機を打つ心臓の上にのせると、
彼女はすべての質問に対して、
正直な回答をする、と。
カエルは人間の生活にとって、
法律よりも有益であると考えねばならない。
カエルの性器から口までアシで刺し通し、
そして夫が妻の月経の血の中に若枝を一本立てると、
彼女は姦夫に嫌気がさしてくるということだ。
人々の会合にヒキガエルを持ってくると、
話が途絶える。
ヒキガエルの右脇にある小骨を、
沸騰している湯に投げ入れると、
その器は冷めてしまい、
その後その小骨を取り除くまでは沸騰しない。
カエルの左脇に「犬の毒」と呼ばれる骨があり、
それを油に入れると沸騰状態となる。
それによって犬の攻撃が撃退される。
それを飲み物に入れて飲むと愛情が起こり、
仲違いが解消される。
それをお守りとして身につけていると、
催淫剤の効果がある。
さらに右脇の骨は、
沸騰している液を冷ます。
この骨を新しい小ヒツジの皮に包んで身につけると、
四日熱、その他の熱病を癒すが、
愛情は抑えられる。
小さいカエルが出す血液様の粘液は、
新しいうちにそれを塗ると、
きわめて有効な脱毛剤となる。
そしてカエルそのものも、それを干して潰し、
3ヘミナの水に入れて3分の1に煮詰めるか、
ブロンズの器で油に入れて煮詰めたものも同様だ。
ヤブヒキガエルを十分に煮て飲ませると、
ブタの病気が癒える。
出血を止めるには、
カエルの灰または、
その血液を乾燥したものをつける。
カエルが水の中で生まれたばかりで、
尾のあるオタマジャクシである間に、
それを新しい焼物の器で焼き、
その灰を鼻血を出している人の、
鼻孔に詰めるがよい。
咳は、カエルを浅鍋に入れ、
それ自身の液で煮詰めたもので癒される。
歯がぐらつくときは、
2匹のカエルの脚を切り取り、
その体を1ヘミナの葡萄酒に浸し、
ぐらつく歯をその液ですすぐことが、
奨められている。
これが世界を席巻した古代ローマの知恵だ、
どうだ、参ったか(笑)。
これらに比べれば、
なに、カエルを煮て食うぐらいは可愛いもので、
それに驚いた『紀』の著者と、
カエルの奇天烈な用途を、
(おそらく)ドヤ顔で記したであろう、
プリニウス先生との、
スケールの違いというか、
想像力の次元の差が、
なかなか興味深く思えてくるのである。
我が家の前に佇むカエルよ、
万が一、捕まって煮られでもしたら、
くれぐれも沸騰するまで何もしない、
ということはないように。