第六十五番歌
恨みわび干さぬ袖だにあるものを
恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
(相模)
【替へ歌】
恨むとも止まる涙はなきものを
恋の噂に我が身朽ちなむ
原歌を意訳すると、
「あの人のことを恨んで私の涙は止まらないのに、
その上、恋の噂が立ってしまうことが、
残念で仕方がない」
という感じなのだが、
失恋の恨みと自尊心の間での、
当時のインテリ女性の苦悩が、
よく伝わってくる。
ただ一首の中に、
恨む/わぶ/干す/あり/朽つ
というように、
動詞を多用し過ぎているせいか、
ちょっとゴツゴツした印象が残る。
替へ歌では、
原歌での特徴的な動詞、
「恨む」「朽つ」は活かしつつ、
もう少し滑らかに流れるように調整した。
第六十六番歌
もろともにあはれと思え山桜
花よりほかに知る人もなし
(大僧正行尊)
【替へ歌】
世を忘れ世に忘らるる我さえも
哀れと思え山桜花
非常におおらかというか、
何の小細工もないストレートな歌。
山籠りをして孤独なとき、
目の前の満開の山桜に向かって、
「お互いのことを『あはれ』と思おうぜ山桜よ。
お前以外に、俺を知る人もいないのだから。」
というのが原歌の大意だが、
「あはれ」というのは、
いわゆる現代語の「哀れ」ではなく、
心の底から共感するというか、
sympathyを感じる、ということ。
それを替へ歌では、
意味を限定することで、
現代の人にも理解しやすいように、
敢えて「哀れ」とした。
また、原歌の詠みっぷりがおおらかすぎて、
間延びするのを避けるために、
「世を忘れ世に忘らるる」
という対句的な表現などにより、
原歌の意味を崩さない程度で、
アレンジを加えてみた。
・・・・・・
・・・
百人一首をアレンジするというこの企画、
当初は2ヶ月ぐらいで終わらせられると思っていたが、
気が付いたら年が明け、
しかもやっと3分の2という体たらく。
思っていたよりも難易度が高いのと、
あとは、替へ歌とはいっても、
やはり「歌を詠む」という精神的エネルギーを、
なかなか集中できないのが原因かな。
焦らず進もう。