第六十七番歌
春の夜の夢ばかりなる手枕に
かひなく立たむ名こそをしけれ
(周防内侍)
【替へ歌】
手枕のぬくもりばかりかひなくも
残るぞつらき春の夜の夢
原歌には、
ちょっとした物語風の背景があって、
作者(女性)が眠れないでいたところに、
プレイボーイが現れて、
「僕が手枕してあげるよ」
と言われたときの歌。
春の夜の夢のような手枕、
という前半はいかにも妖艶なのだけれど、
後半の、
甲斐なく立ってしまう恋の噂が悔しい、
(「甲斐なし」に「腕(かひな)」を掛けている)
というのが、やや偏屈というか、
そのまま一夜限りの恋に没入すれば良いのに、
と思うところ。
そういう意味では、
65番歌(相模)の、
恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
と同じ感覚なのだけれど、
やはり知的な女性というのは、
どこかに「冷めた自分」がいるというか、
まずは世間体を気にするものなのか。
同じテーマの歌を近くに配置して、
少しずつずらしながら、
グラデーションのように世界観を広げていくのが、
「百人一首」の真骨頂であると、
あらためて実感させてくれる。
さて、替へ歌の方では、
冷めた感覚は置いておいて、
恋に没入することに専念することとし、
「手枕のぬくもり」という、
体感性を重視してみた。
もちろん当方は男性なので、
手枕をする側であるため、
そのぬくもりがどれほど記憶に残るものなのかは、
想像でしかないのではあるが。
第六十八番歌
心にもあらで憂き世に長らへば
恋しかるべき夜半の月かな
(三条院)
【替へ歌】
今はただ去るべき憂き世の思ひ出に
恋を語れり月眺めつつ
自分はそれほど歴史に詳しくないのだが、
詠み手である三条院の時代は、
藤原摂関家が着々と力を付ける一方、
病弱で名ばかりの天皇が続いた時代であった。
三条院も、当歌を詠んだ翌月に譲位、
翌年には崩御したわけで、
このつらい人生で想定外に長生きしちゃったら、
今夜の月を、きっと恋しく思い出すだろう
という、
まるで死を予言しているというか、
諦観のにじみ出ているこの原歌は、
なんとも味わい深い。
そんな悲劇の天子が、
月ばかりを恋しく思うのは哀れすぎるので、
少しばかり恋の要素をプラスしてみた。
冒頭二首が天皇御製で始まり、
最後の二首も御製で終わる「百人一首」であるが、
それ以外の天皇の歌は、
崇徳院と三条院のみ(たぶん。違ってたらごめんなさい)。
そういう意味でも貴重なのだが、
歌自体としても、
飾らぬ言葉で人生の最期を詠った、
「百人一首」中、屈指の名歌だと思う。