アルマンド、クーラント、サラバンド、
メヌエット、ガヴォット、ジーグ・・・
バロック音楽を弾いたり聴いたりするにあたり、
「舞曲」を避けて通ることはできない。
そして、音楽的観点から、
バロック舞曲について知れば知るほど、
必ず沸き起こる疑問は、
「これらの舞曲は、
どのように踊られていたのか。
いや、そもそも踊られていたのか。」
ということ。
なにせ昔のことなんで、
録画装置などあるはずもなく、
舞踏譜なる資料は残ってはいるものの、
内容に偏りがあるし、
ダンスの細かな動きを伝えるには、
あまりにも不十分である。
一方、演奏する楽譜には、
4分の3とか、8分の6とかの拍子は、
記載があるから分かるものの、
テンポやアーティキュレーションについては、
ほぼ分からないと言っていい。
つまり、
バロック舞曲の本来の姿を知るには、
あまりにも情報が乏しく、
演奏者は、
想像力をフル稼働させるしかないわけなのだが、
このような状況のなかで、
わずかながら残された資料をもとに、
バロック舞曲の姿を解明しようとするのが、
本書である。
特にヴァイオリンの運弓法や、
旋律における音価の出現傾向から、
クーラントやメヌエットの、
リズムに迫ろうとするアプローチは、
一読の価値はある。
けれども、
やはり論の展開には限界があったようで、
本書の最後に至り、
「バロック音楽には撥弦楽器的な書法が偏在する」
という、
根拠のない主張を突然したかと思うと、
撥弦楽器の演奏は身体性を要求されるから、
つまり舞曲を弾くこと自体が舞踏なのだ、
という結論付けをしたのは、
かなり強引と言わざるを得ない。
何も結論を出すことがすべてではなく、
変わった視点によるアプローチと、
検証のプロセスだけでも、
それなりの読み応えはあったのに、
「舞曲を弾くこと自体が舞踏」
という、
トートロジー的な結論へと持っていたのは、
勿体ないというか、
無謀であると言わざるを得ないだろう。