江戸時代という、我が国の文化にとってのまさに奇跡的な時代においては、
絵師という職業ひとつをとっても、
その優劣を論ずることは、容易なことではない。
ならば開き直って、好き嫌いで語るしかあるまい。
とはいっても、これがまた、好きな絵師を挙げるだけでも、
十人は下らないという状況だ。
視点を変えよう。
琳派や若冲、北斎らには、見るものを引き付けるエネルギーがある。
応挙だって広重だって、蕭白だってそうだ。
それと対極なのが、蕪村、大雅、そして谷文晁。
一見したところでは、彼らの画は、何も語りかけてこない。
しかし、何度も向き合い、その前で足を止めるに及び、
彼らの作品は、静かに語りかけてくる。
そして一度でもそのような体験をしてしまうと、
なかなかその魅力から抜け出すことは難しい。
僕にとっての谷文晁とは、そんな存在である。
水墨画の名手でありながら、西洋画の模写、絵巻物の複写、華麗な屏風、
北斎に勝るとも劣らない「手数の豊富さ」を、
この展覧会では堪能できる。
その魅力を挙げればキリがないが、
例えばこの「石山寺縁起絵巻」の炎の表現はどうだろう。
まるでゴッホのような狂気の色使いと、有機物の如き炎の描写。
これひとつだけでも、彼の非凡さを証明するには十分だろう。
今回の展覧会を観て気づいたことは、
文晁にとって、松平定信というパトロンが欠かせなかったということ。
定信の政治的影響力は勿論のこと、
彼の芸術に対する理解度と才能がなければ、
文晁という存在はあり得なかったのではないだろうか。
しかし一方において、定信が京伝や春町といった文筆家たちには、
非常に厳しく接したことは、興味深い。
江戸時代一、二を争うこの名政治家の中で、
芸術や文芸に対する気持ちがどのように傾いていったのか、
それはそれで、研究に値するテーマだと思う。