個性派揃いの漱石先生門下の中でも、
特に異彩を放つのが百間先生。
師の「猫」の軽妙洒脱な路線を、
向う見ずに突っ走らせたような文章が、
この随筆で堪能できる。
百間先生は、僕が想像していたよりもかなり私生活、
特に金銭に関してはルーズだったようで、
別に金持ちの放蕩の話を読んでも面白くはないが、
百間先生の場合、借金のループの話、これを貸す側と借りる側の立場から書いていて、
これが頗る面白い。
借金というのはある種の中毒のようなもので、
返せなければまた別の所から返せばいい、そして給料日になったらすべて持っていかれてしまうから、
本来待ち遠しいはずの給料日が、逆にイヤになる、
そんなことまで、すべて納得済みで、いわば「確信犯」的な自堕落なのである。
百間先生が愛される所以はそこにあるのだろう。
「風呂敷包」という一篇の中に、こんなことが書いてある。
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本を読むのが段段面倒くさくなったから、なるべく読まないようにする。
読書と云う事を、大変立派な事のように考えていたけれど、
一字ずつ字を拾って、行を追って、頁をめくって行くのは、
他人のおしゃべりを、自分の目で聞いている様なもので、うるさい。
目はそんなものを見るためのものではなさそうな気がする。
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結局お金に困って蔵書を売り払ってしまうわけだが、
とか言いながら、その後には、
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人の書いたものを読まない様にして、
自分が人に読ませる原稿を書いているなども、因果な話である。
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などと書いているあたり、まさに百間ワールド全開である。
十代の頃に読んでいたのとは、また違った味が出てきて、
日常に疲れたときにふと読んでみたい作家の一人だ。
[…] 前作の「百鬼園随筆」は売れに売れたらしく、 百間先生の借金も随分減っただろうと思われるが、 これはその続編である。 […]
[…] 「百鬼園随筆」などで読んだことあるものも多かったけれど、 こうしてあらためて、「カネ」をテーマにした文章をまとめて読むことで、 百間先生の面白さが再認識できる。 […]