三連休中だったので、ある程度混むことは覚悟していたけれども、
まさかの90分待ち。
幸い、天候が良い日だったので、
スカイツリーでも眺めながらのんびりと待つことに。
金印や玉虫厨子をはじめ、
歴史の教科書に載っているような遺物が多く展示されているので、
この混雑も当然と言えば当然なのだろう。
館内に入り、最初の展示は「仏足石」。
古代歌謡が専攻だった自分は、「仏足石歌」というものには馴染んでいたので、
ここで実物の仏足石にご対面できたのは、なかなかの感動だ。
次に目を引いたのは、「孔雀明王像」。
左右対称を基本とした構図の美しさと、
孔雀の胴と羽根の部分の筆の細かさは、
平安時代の美術レベルの高さを証明するには十分だろう。
お次は、「金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図」。
以前もどこかでお目にかかった気がするのだが、
思い出せない。
よく見れば、中央の塔の線部分が、すべてお経の文字で書かれている。
周囲の仏図も含めた美術品としての価値と、
真摯な信仰心が伝わってくる。
「元興寺極楽坊五重小塔」。
ミニチュアと呼ぶには立派すぎで、おそらく高さも3mほどある。
なぜこんな中途半端な(?)大きさで、かつ精巧なモデルを、
8世紀の時点で作る必要があったのか。
モノそのものよりも、創作の動機の方が気になるところだ。
最後に、特設ショップに寄ったのだけれど、
一番人気を集めていたのは、土偶関連の商品。
特に土偶のガチャガチャは、子供がよく回していた。
子供にとっては、妖怪とかフィギュアとか、そういう感覚で土偶を見ているのだろうが、
その感覚は実は非常に重要で、
何も縄文時代の人は、
教科書に書かれているような宗教的な意識をもって土偶に接していたわけではなく、
現代の子供たちのように、好奇心と愛らしく思う気持ちで、
この素朴な「人形」に接していたのではないだろうか。
土偶は、手で触って楽しむにはちょうどよい大きさである。
後の時代の、ある種の仏像が、
人々に触られることでその効力を発揮していたのと同様、
土偶もまた、触られ、あるいは遊び道具にされることで、
人々の心を慰めていたのではないだろうか。
土偶が、「玩具」であったという説を、僕は提起してみたい。