「プラド美術館展」(@三菱一号館美術館)

「プラド美術館展」(@三菱一号館美術館)

相変わらず狭くて、ムダに部屋の多いこの美術館。

美術鑑賞には、ソフトはもちろんだが、
ハードの問題も重要であると、来るたびに思う。

スペインが世界に誇るプラド美術館。

今回は目玉的な作品は来ておらず、小品が中心の展示なのだが、
そんな中で、自分のお気に入りを見つけるのが、
何といっても楽しみである。

皆が褒める作品が、優れているとは限らない。

さて、スペインといえば、ベラスケス。
今回の展示で一番のお気に入りは、
この一見素朴に見える「ローマ、ヴィラ・メディチの庭園」(ベラスケス)。

「ローマ、ヴィラ・メディチの庭園」(ベラスケス)

ストーリーや史実といったコンテクストの介入を排し、
純粋なる風景だけを描いたというのは、この時代では珍しいうえに、

画面の横に広がる白い門と、画面の縦に伸びる緑の樹木が、
ちょうど画面を二分割することで、
絶妙なバランスと広がりの錯覚を与えることに成功している名品である。

さらに、手前に小さく人物を描きこむことで、
景色が完全に前面に押し出てくることを防ぎ、客観的な視点を確保している。

次は、「聖人たちに囲まれた聖家族」(ルーベンス)。

やはりデッサンの巧みさがベースにあって、
それが各人物に様々な姿勢を取ることを許すことで、
画面を「動的」に仕上げている。

「聖人たちに囲まれた聖家族」(ルーベンス)

構図的には、重心はドラゴンを踏みつけている左下にあるのに対し、
人物を「<」型に配置することで重みを右側に解放し、

そして一番右上の人物に、「>」型の姿勢をとらせることで、
観る者の視点を中央へと戻し、そこにいる聖母子へと集中させている。

これは偶然ではなく、もちろん計算された上で描かれているわけだけれど、
こういったことは並みの画家でできるものじゃない。

鮮やかな使い分けた色彩も見事。

この二作品がズバ抜けていたのだけれど、
他にもいくつか気になったものがあったので、ざっと紹介。

「十字架を担うキリスト」(ティツィアーノ)。

「十字架を担うキリスト」(ティツィアーノ)

柔和さを残すキリストの表情は、いかにもティツィアーノ。

でもやはりこの絵で目立つのはその構図で、

十字型が失われるぐらい大胆な「寄り」にしたことで、
画面が、キリストと左上の人物の分とに、鋭角で分割されることになった。

そこにまず、コントラストの妙がある。

そして、この絵を観る者にとって、左上の人物の視線を追って、
それがキリストの目にぶつかるという動きは、当然のことであるのだが、

鑑賞者の目がそのような動きをすることで、
十字架の直線の他に、もうひとつ別系統の「ライン」をこの絵に付加させているのである。

さらにキリストの目に辿り着いたその「ライン」は、
最後には、こちらを見つめるキリストの視線によって、鑑賞者自身へと戻されることになる。

その他にも、二人の指先を結んでもそこに「ライン」が出現する。

この絵は、十字架という直線形を背景として、
複雑なラインの交錯を、入念に書き込んでいるところに見所がある。

これもベラスケス。
「フランシスコ・パチェーコ」(ベラスケス)。

ありがちなのっぺりと美化された肖像画とは対照的に、
陰影を見事に描いている。

「フランシスコ・パチェーコ」(ベラスケス)

スペインといえば、ゴヤもいる。
「レオカディア・ソリーリャ」(ゴヤ)。

「レオカディア・ソリーリャ」(ゴヤ)

今にも気さくに話しかけてきそうな、
ある意味ゴヤらしくない、柔和な作品である。

最後は、「セビーリャ大聖堂のサン・ミゲルの中庭」(マドラーソ)。

「セビーリャ大聖堂のサン・ミゲルの中庭」(マドラーソ)

この絵はハガキほどの大きさしかない。
その画面の中で、ここまで細かく筆をつかうというのは、まさに職人芸。

そういった職人的技巧に感嘆するというのも、
絵を観る楽しみのひとつではある。

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