評判の良い美術展だということは知っていたのだけれど、
なにせ千葉は遠い・・・。

東京の隣の県とはいっても、横浜や大宮に行くのとはわけが違う。

でも後悔はしたくなかったので、電車に揺られること1時間半。

千葉駅で降りてみたが、日曜の午後だというのに、
なぜこんなに人がいないんだ!というぐらい閑散としている。

都心ではまず席を確保できないスタバも余裕で座れたし、
しかも隣のカップルが、
「今日のスタバ、なんか混んでない?」とか言ってるし・・・。

隣の千葉でさえもこの有様なのだから、
もっと地方に行けば更に状況はひどいわけで、

東京への一極集中はそろそろ打ち止めにして、
もっと地方を盛り上げねば、、
などと考えさせられることもあったのだけれども、
それは本題とは関係ないので、またの機会としよう。

駅から美術館までも、なかなかの距離である。

おそらく空室がばかりであろう、
無駄にデカい(失礼!)ホテルの脇を歩きながら、
しかしなぜ、千葉なのか、とつらつら考えてみるに、

そういえば師宣は房州の出身だったか、ならば師宣中心の展示に違いないと、
少し気分を持ち直して、寒空の下を、早歩き。

ところで、あらためて「浮世絵とは何か」と問うてみると、
これがなかなか一筋縄ではいかない。

自分流にざっくり説明してみるに、
芸術作品というものは多かれ少なかれ「浮世離れ」しているもので、

浮世絵とはその逆、「浮世離れしてない」絵画なのであって、
だからその名も「浮世絵」なのである。

美術の教科書などでは、
浮世絵の例として北斎の「赤富士」なんかが載せられているのだろうが、

あれはむしろ「浮世離れ」した作品であって、
本当の意味での浮世絵ではない。
(版画として、庶民に流通することを目的としているという意味では浮世絵なのだが)

江戸後期の北斎や広重という芸術家たちは、
純粋なる浮世絵に「浮世離れ」した要素を付加して、
芸術性を高めていったのであり、

つまるところは、
本来の浮世絵の魅力は江戸前期の作品に見られるものなのである。

だからこそ、千葉までやって来たのです!!
(そう、前置きが長くなったけれど、これが言いたかった。)

例えばこの、師宣の「角田川図」。

菱川師宣「角田川図」

これを、レンブラントや光琳の作品に接するのと同じように観て、
「ずいぶん魅力がない絵ねぇ」
などと言ってはダメなのである。

これは歌舞伎の「角田川」の上演風景。
いまの歌舞伎の様子と比べれば、その違いは一目瞭然。

その違い(というか、ツッコミどころ)をひとつひとつ拾っていくうちに、
いつの間にかこの絵に見惚れることになる。

ハイ、これが浮世絵の魅力。

次は、石川豊信の「見立琴碁書画」。

石川豊信「見立琴碁書画」

左奥では、女の子が譜面を前にして、食い入るように琴の演奏を見て覚えてますよね。

その右側では手を持ってもらって、習字のお稽古。

手前の男の子たちは、子供だけで遊んでいますな。

左側は、オセロでしょうか?・・・いや碁ですね、
右側ではお絵かきをしてますね、
子供なのに山水画のようなものを描いてシブいですなぁ、

でも何で右のコは坊主頭なんでしょうかね、
お寺の子供なんですかね、
着物の柄もみんなと違いますね、
オシャレさんなんですかね?坊主のクセに。
・・・・・・
・・・・

などと、気付いたことだけでも結構挙げられるはず!

ハイ、これが浮世絵の魅力。

ではリクエストに応えて、もうひとつ。

杉村治兵衛の「遊女と客」。

杉村治兵衛「遊女と客」

どうですかね、この目つきと姿勢でエロさを具現化した男。
こんなのが身の回りにいたら、絶対友達にはなりたくないですよね。

そしてそれをなだめすかすようでいながら、
心の中では、「こいつ、キモイ!」と叫んでいるに違いない遊女。

右側の遊女は何を思っていますかね。

「また始まった」って感じですかね。
それともこのあと、彼女もゲームに参加するのですかね・・。

直接なエロ描写は皆無ですが、
前後のストーリーがいろいろと想像できる。

これも、浮世絵の魅力。

では最後に、別の視点から浮世絵の楽しさをご紹介。

浮世絵が芸術としての絵画とは、まったく別のベクトルを持っていることは、
上の三例で分かっていただけたかと思うのだけれど、
浮世絵は、芸術性を捨てた代わりに、デザイン性を身に着けることになった。

これは、初代鳥居清倍(きよます)の「二代目市川団十郎の虎退治」。

初代鳥居清倍「二代目市川団十郎の虎退治」

体のアウトラインが、もはや文様になりかけているが、
それでいて、力強さを全く失っていない。

むしろ、具体性を捨て、文様と化することによって、
その本質の純度を高めているとでも言おうか。

解釈を要求することなく、
ひと目でメッセージを伝えるというのがデザインの役割であるならば、
その意味で、この作品はデザインそのものなのである。

人体にも虎にも、正確性などないし、期待されてもいない。

しかしながら、団十郎の荒事を、
見る側に瞬時に伝えることに成功していると言えるだろう。

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とまぁ、ここでは4作品しか紹介できなかったが、
出展されていた全作品について、
上記のような魅力を語ることが可能だと思う。

千葉、万歳(一応、フォロー)。