「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」(@国立新美術館)

「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」(@国立新美術館)

ボナールは個人的に好きな画家のひとりなのだが、
その特徴は?と問われるとなかなか難しい。

セザンヌ、マティス、ドガ、モネ、ルノワール、ゴッホ・・・、
とにかくボナールは、いろいろな画家の特徴を盗んだような作品が多いのだ。

おそらく彼の中で、他の画家たちの表現技法を模倣しながら、
自分なりの世界を探っていたのであろう。

通常の画家であれば、晩年になるに従って自分のスタイルというものを確立し、
ひと目みればその人の作品だと分かる場合がほとんどである。

けれどボナールは違う。

むしろ後期の作品であればあるほど、
さまざまなチャレンジの跡が作品に見られるようになるのだ。

この展覧会を通じて、自分の中のボナール像は彼の特徴の一部に過ぎないのだということを知った。

多彩な表現を繰り出すボナール。
それに出会えただけでも、(仕事をサボって)足を運んだ甲斐はあった。

さてその辺りを念頭に、気になった作品を振り返ってみたいのだが、
ボヌールの作品はこのブログでも色々と紹介してきたこともあり、
今回は初見の作品のみを取り上げることにしよう。

 

・「バラ色の裸婦、陰になった頭部」

「バラ色の裸婦、陰になった頭部」
どうしても頭部に注目しがちではあるが、
実は体の方も、かなり高度な表現を施されていることが分かる。

後ろの壁と同化するような塗られ方をしている中で、
それでも体を体として保っているものは何か。

その答えを「顔」に求めようとしたときに、
それを拒否するかのような「陰」がそこに待っている。

観る側の心の中を覗き込まれるような、印象深い作品である。

 

・「静物、開いた窓、トルーヴィル」

「静物、開いた窓、トルーヴィル」
これを最初に観たとき、マティスかデュフィのものかと思った。
色使いにせよ構図にせよ、僕の知っているボナールのものではない。

このような作品を、晩年ともいえる1934年に描けるというのは、
この画家の創作力というか、表現エネルギーのようなものを感じさせてくれる。

 

・「ル・カネの食堂」

「ル・カネの食堂」
黄色を主体としてこの色遣いも、
後期のボナールにはよく見られるのだということを、今回初めて知った。

左上の人物と猫の幸せそうな表情とともに、
余白十分なテーブルが画面の半分以上を占めることで、
家庭の安心感のようなものが滲みでている一枚である。

画面中央に置かれた、座る人を待っているかのような椅子が、
殊更に印象的だ。

左上の女性の視線の上、ちょうど画面の対角線上に静物が並べられており、
画面右上と左下のコントラスト形作っている。

 

・「テーブルの片隅」

「テーブルの片隅」
ボナールの特徴のひとつである「平面性」を前面に押し出したような作品。

テーブルの「片隅」をはいうものの、主役はあくまでもそこに置かれた静物であって、
その存在感の強烈さを、左上に申し訳なさそうに描かれた椅子が表している。

果たしてこれはどのような角度でスケッチされたものなのか、と考えることで、
いつの間にかこの絵の世界ひ引きずり込まれてしまうかのうようである。

 

・「はしけのある風景」

「はしけのある風景」
右上の「はしけ」は、木々の間から見える空に浮いている物体のようにも見えるわけだが、
遠近感を取り払って、見たままを平面上に再構成したからで、
これが僕の中の「いわゆるボナール作品」に最も近いかもしれない。

風景自体が、ひとつの模様であるかのように平面上をせめぎ合っている。

 

・「トルーヴィル、港の出口」

「トルーヴィル、港の出口」
南フランスの陽の光を、「黄色」によってここまでストレートに表現したのも珍しい。

空はもちろん、船も人も、同じ色で彩られ、
そのあたたかな空気感が視覚から伝わってくる。

 

・「花咲くアーモンドの木」

「花咲くアーモンドの木」
ボナール最後の作品。

遺作であることの暗さは微塵もなく、
花咲く木の生命力と、白・青・黄のコントラストの鮮やかさによって、
むしろ若々しささえも感じてしまう。

最後の作品であるからといって、
それがその作家の集大成であるとは必ずしも限らないが、

色と空気を平面上に再構成するというボナールが、
最後に辿り着いた作品として、十分に納得がいくものだと思う。

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