百人一首替へ歌(No.0)

百人一首替へ歌(No.0)

「parody」(パロディ)という単語を、
手元のオックスフォード辞典で引くと、

speech, writing or music that imitates the style of an author, composer, etc in an amusing and often exaggerated way; comic imitation

とある。

要は「風刺や誇張を伴った模倣作品」
ということなのだが、

単なる「模倣作品」ではないところが、
ポイントである。

単なる模倣作品というのは、
一歩間違えれば、
「盗作」と見做される可能性があるのに対し、

パロディは、アートや文芸における一ジャンルとして、
評価の対象とさえなりうる。

何が違うのかといえば、
「なりすまし」(模倣)なのか、
「そっくりさん」(パロディ)かということで、

「そっくりさん」というのは、
場合によってはオリジナルのお墨付きを得たうえで、
そのオリジナルの価値(特徴)を再認識させ、
高めるという効果があるのだが、

「なりすまし」は、
あくまでも本人の「偽物」として、
オリジナルのもつ価値(特徴)に対する評価を、
わが物にしたいという欲望が見え隠れする。

そして優れた芸術作品の中には、
パロディから風刺や誇張といった毒味をそぎ落とし、

とはいえ単なる「模倣作品」としてではなく、
オリジナルの持つ価値(特徴)をリスペクトしたうえで、
それとの融合を果たすのに成功しているものが、
数多くある。

例えば、
クラシック音楽における他人の曲を主題とした変奏曲や、
ヒップホップにおけるサンプリング、

琳派画家たちにおける「風神雷神図屏風」の継承もそうだし、
そして和歌においては「本歌取り」というものがある。

さてここからが本題になるわけだが、
「本歌取り」というのは、
誰もが知っている古い和歌をアレンジして、
まったく違う歌に作り替えることであり、

オリジナルがもつ言葉のみならず、
その背景やストーリーを取り込むことで、
新しい歌に「文化的厚み」を付与することができる。

まったく新規の和歌を創るのとは微妙に異なり、
オリジナルの要素を如何に再構築するかという点で、
「言葉のセンス」が要求されるものだと思っている。

ここで僕がやろうとしているのは、
誰もが知っている「百人一首」を元ネタにした、
「本歌取り」による和歌の制作である。

ただ、定家が定めているような、
「本歌取り」の厳密なルールに則るものではなく、
「替え歌」程度のものだと思ったいただきたい。

「替え歌」というのは、
メロディはそのままで歌詞をガラリと替えるものだが、

それをここでは、
オリジナルの言葉はなるべく残しつつ、
(可能な限り)別のムードを持つ和歌に替えてみた、
ということである。

自分の言葉のセンスを磨くには、
こんなやり方がよいのでは、と思ったまでであり、
気が向いたら目を通していただければ幸いではあるが、

たかが百首といっても、
一日二首だとして、約2ヶ月。

三日坊主ならぬ三首坊主にならないことを誓いつつ、
気長にやってみたいと思う。

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