第十一番歌

【原歌】
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと
人には告げよ海人の釣船
(参議篁)

【替へ歌】
帰り来ぬ旅路と知れば八十島の
心も千々に釣船を漕ぐ

原歌の背景を説明しておくと、
参議・小野篁は、

とある事件が原因で隠岐に流罪となるが、
そのときに詠んだとされるのがこの歌で、

あのたくさんの島に向けて、
自分の船が出て行ったと、
釣船の海人よ、どうか都の人に伝えてほしい

ぐらいの意。

実際はすぐに赦されて帰京するのだが、
替へ歌の方では、
篁は二度と帰ってこれなかったと仮定し、

それを、釣船を漕ぐ海人が、
複雑な心境で眺めている、
という構図にした。

あの人は船で旅立ってゆくが、
二度と戻れないと私は知っているので、
あの島々のように千々に乱れた心で、
私は釣船を漕ぐのです、

が替へ歌の歌意。

詠み手を、流罪にされる篁から、
それを眺める海人の側にすり替えたのが、
ポイントとなっている。

第十二番歌

【原歌】
天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ
乙女の姿しばしとどめむ
(僧正遍昭)

【替へ歌】
ぬばたまの夢の通ひ路待ち侘びて
誰恨むらん恋しき乙女

「雲の通ひ路」を、似た響きで、
もっとイメージしやすい「夢の通ひ路」に差し替えた。

ただ、夢の中で恋が成就してしまうのでは、
原歌のもつ片思い的な感覚が消えてしまうため、

恋しい乙女は、
自分ではない他の誰かを待ちわびている、
という構図にした。

好きな人に逢えるという夢の中、
そこで一体誰のことを待ちわびて、
その人が来ないことを恨んでいるというのか、
恋しい乙女よ、

という歌意。

原歌の好奇心半分のさらっとした感情を、
やや嫉妬深い恋の心情に詠み替えてみた。