「はじまり、美の饗宴 すばらしき大原美術館コレクション」(@国立新美術館)

これは美術に限らず、音楽でも文学作品でも同じなのだが、
よく知った作家の作品に触れて、
あぁ、やっぱりすごい、ここが素晴らしい、と感じることはもちろん素敵な体験なのだけれども、

今まであまり親しんでこなかった作者の作品を目の前にして、
その異質なエネルギーというか、聴きなれないメロディというか、

「新たな美」のようなものを全身で受け止めて感動してみるというのも、
それ以上に重要な体験である。

大原美術館には、
ゴーガンだって、ルノワールだって、ピカソだって、マネだって、ドガだって、トゥールーズ=ロートレックだって、・・・
名の知れた画家の作品は一通り揃っている。

僕も最初は、彼らの作品が目当てだったことは白状しよう。

そして実際それらは、すべて素晴らしい作品ばかりだった。

けれどいつものように、それらをここで紹介する気にはなれない。
なぜか?

それは「新たな美」が、いまだに僕を感動させているからであり、
それらを紹介することが、このブログの使命(勝手に決めた)だからでもある。

まずは珍しく、絵画以外の作品から。

・富本憲吉「白磁蓋付壺」

富本憲吉「白磁蓋付壺」

周りの空間と時間を一気に凝縮したかのような、静寂さの美。
音楽でいえば、限りないレガートの世界で、一点の濁りもない。

照明の当て方が非常に工夫されていて、
下に広がる楕円の影によるコントラストが、

「白」は色の不在ではなく、究極の色なのだということを、
思い知らせてくれる。

・坂本繁二郎「髪洗い」(1917年)

坂本繁二郎「髪洗い」

髪と背景が同じような描かれ方をしており、
髪が空間一杯に拡がっているようにも見える。

髪は女の命、とも言われるが、
画家の妻であるこのモデルの、女としての主張というか、執念ともいえる重いものが、
観る側に伝わってくる作品だ。

・佐伯祐三「広告”ヴェルダン”」(1927年)

佐伯祐三「広告

デザインにおいては主役といってもいいタイポだが、
絵画とは意外と相性が悪い。

そこを逆手にとったともいえる作品で、
まるで有機物であるかのような曲線を描く文字群が、
頽廃的な美しさを醸し出している。

・藤島武二「耕到天」(1938年)

藤島武二「耕到天」

画面の大胆な分割が、柔らかみを伴った立体感を出している。

キュビズム的な表現は、理知的というか、対象を冷たく感じさせる嫌いがあるけれども、
この作品には、それが一切なく、
自然の明るさ・喜びを見事に表現していると思う。

・熊谷守一「陽の死んだ日」(1928年)

熊谷守一「陽の死んだ日」

陽というのは、幼くして他界した作者の息子のこと。

慟哭するかのような絵筆の遣い方が、強烈な印象を残す。

芸術とは、生のままの感情表現なのか、それとも加工されたものであるべきなのか、
そういうレベルのことを考えつつ、じっと眺める。

・児島虎次郎「和服を着たベルギーの少女」(1911年)

児島虎次郎「和服を着たベルギーの少女」

大原美術館の主要作品は、大原孫三郎の指示のもと、
児島虎次郎が渡欧し、ときにはモネやマティスに直接会って交渉し、
日本の美術発展のために購入したものである。

つまり児島虎次郎なくしては、このコレクションは成り立たなかったわけだが、
その児島の作品で、今回唯一の出展となるのがこの「和服を着たベルギーの少女」。

とにかく美しい。
時間さえ許せば、何時間でも前に立っていたいぐらいだ。

パッと見は、マネあたりの日本趣味絵画に近い印象なのだけれど、
着物を極端な厚塗りにして、
いかにも印象派風の光彩を放つ背景から浮かび上がらせるなどの工夫は、
この作品ならではのものである。

着物の柄に「形」を認めず、
このように抽象化できるというのも、
普段着物を見慣れている日本人であるからこその感性なのだと思う。

・北城貴子「Reflection-muison-so-」(2006年)

北城貴子「Reflection-muison-so-」

大原美術館は、現代の作家にも積極的に門戸を開いている。

今回、現代作家の作品が数多く展示されていた中で、
ひときわ惹きつけられたのが、この作品。

PC画面で見ると、ごく普通の風景画のようではあるが、
2m×2.5mの実際の作品を目の前にすると、、、

いや、厳密に表現すると、目の前にしたときと離れたところから観たのでは、
まるで違う絵なのである。

どの距離からどういう角度で眺めるかによって、
まるで違う見え方をする・・・これもある意味での「Reflection」。

でも個人的には、近づいて眺めたときが一番美しい。
うーーん、この絵は思わぬ収穫だった。

最後に、「有名作家」の作品を一枚だけ紹介。

セザンヌの「風景」。

まるで水墨画のように、簡素でありながら、
奥行としての物語を含蓄していそうな、
そんな一枚である。

セザンヌ「風景」