基本的には常に忙しいつもりなんだけれど、
ここのところは、ヒドイ。
仕事があるのは嬉しいのだが、
引越しやらなんやらも重なってしまい、
このサイトを更新するのもロクにできていない。
美術館に行ったのも、随分久しぶりだ。
たまには良いものをinputしなければ、良いoutputはできない。
余裕の枯渇している今だからこそ、
敢えて原点回帰で日本画を、、ということで、
円山応挙展へ足を運んだ。
目当ては、「松に孔雀図襖」と、国宝の「雪松図屏風」。
どちらかを選べ、と言われれば、迷うことなく前者。
「雪松図屏風」は、確かに美しい作品ではあるのだけれども、
構図が全く面白くない。
というか、キレイにまとまりすぎている。
でも確かに秀作には違いない。
それに対し、「松に孔雀図襖」の見事さは息を飲むばかりだ。
この作品の主眼は、孔雀ではなく松にある。
「雪松図屏風」の松が、構図の中におとなしく収まっているのに対し、
こちらの松は、自由奔放、闊達自在。
そう感じさせるのは、ズバリ、トリミングの妙にある。
上へ上へ、と力強く伸びようとする松の幹を潔く途中で裁ち落とし、
そしてお返しとばかりに上から枝が、触手のように降りてくる。
襖に描かれたものなので、
天地の幅が足りないのはもちろんなのだけれども、
応挙はむしろ、襖に描くという”ハンデ”を逆手にとって、
敢えてバッサリとトリミングをし、
上下に漲るエネルギーの流動を、
観る者に感じさせようとしたのはではなかろうか。
例によって素人の見解なので、的外れなのかもしれないが、
少なくともデザイン的観点から見れば、
このトリミングは成功している。
・・・と、こんなことを考えていると、
疲れ切った頭も冴えてくるから不思議なもので、
脳味噌の酸化を防ぐには、
絵を見てあれやこれやと考えるのが、どうやら効くらしい