西洋絵画史は、「何を描くか」がまずあり、
次に、「どう描くか」を追求することで進化してきた。
しかしそれも、印象派を経て、フォーヴやキュビズムに行きついたところで、
(おそらくは)限界を迎えた。
カンディンスキーには、「何を描くか」は必要ではなかった。
「どう描くか」のみを追求することで、
”純粋な”絵画としての可能性・潜在性を引き出すことに専念できた。
「抽象派」という呼称は、正しくない。
むしろそれまでの絵画が、現実を模倣しすぎただけだろう。
アート・読書・音楽・科学etc.浮世離れな日々。
西洋絵画史は、「何を描くか」がまずあり、
次に、「どう描くか」を追求することで進化してきた。
しかしそれも、印象派を経て、フォーヴやキュビズムに行きついたところで、
(おそらくは)限界を迎えた。
カンディンスキーには、「何を描くか」は必要ではなかった。
「どう描くか」のみを追求することで、
”純粋な”絵画としての可能性・潜在性を引き出すことに専念できた。
「抽象派」という呼称は、正しくない。
むしろそれまでの絵画が、現実を模倣しすぎただけだろう。