前日、まだ4,000円チャージされてるSuicaをどこかに落としてしまい、
滅入った気持ちを引き摺りながら上野公園を歩くと、
広場で三重県のフェアらしきものをやっている。
興味もなく通り過ぎたのだが、マイクを持った女性が、
「こちらが、三重県のゆるキャラの“はいくちゃん”です!
三重県出身の松尾芭蕉にちなんで名付けられました!」
と元気な声でアナウンス。
うむ・・・。
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さて、ターナーといえば、黄土色の風景画ばかりを描いた生真面目な英国人、
というぐらいの印象しかなかった。
美術好きな人に、「お気に入りの画家を5人挙げて」と質問したとして、
その5人の中にターナーの名前を見つけることは難しいだろう。
それだけ、一般的に地味な存在でもある。
ただ、逆に、そういう存在であるからこそ、きちんと見ておくべきだと思った。
さすがに100点以上もの作品を目にすれば、
今まで気付かなかったこの画家の魅力が、何かしら見えてくるかもしれない。
鑑賞を進めていくにつれ、この画家が、途方もない技量の持ち主だということは分かった。
特に、油彩と水彩の各々で使い分けられている画法は、
ターナーの天才ぶりを証明するには、十分であろう。
しかし、何かが足りない。
その答えは明白で、いくら技量が卓越しているにせよ、風景画だけでは限界があるのだ。
特に印象派が登場する以前の西洋画においては、
肖像が神々などの人体・人物の造形や表情の綿密な描写というのが、
醍醐味なんだと思う。
なので、感心しつつも、いささか消化不良な感覚で最後のフロアに入ったわけだが、
そこで待っていた一枚に度肝を抜かれた。
ターナー晩年の一枚。これももちろん風景画だ。
「平和―水葬」というこの絵。
のちのマネを思わせる漆黒と、当時としては斬新すぎる描写。
空に伸びる煙と、水面を這う影、そしてその間の実体としての船が、
強烈な「黒」で眼に飛び込んでくるではないか。
ここまで来ると、もはや人物だの風景だのといった区別は超越してしまい、
すぐれた芸術としての、絶対的な評価しか受け付けてくれなくなる。
この一枚が、前述のマネやモネたちに、
かなりのインスピレーションを与えたであろうことは容易に想像できるだろう。
そして、あの黄土色の風景画の画家が、最後に到達したこの境地を思うと、
あらためて創作活動というものの奥深さを考えさせられてしまう。
「ターナー展」は、少なくとも日本では地味な存在である一人の画家の、
創作における昇華の過程を体感できる、貴重な経験となった。
Suicaの4,000円は、この展覧会に寄付したと考えることにしよう・・・。