地球滅亡、というのは今やゾンビと並ぶ映画の人気テーマであるが、
・危機を回避してハッピーエンドとなるもの
・文字通り地球が「滅亡」してしまうもの
の二つに分類される。
これはおそらく、聖書にある「最後の審判」を、
新たなる世界の始まりととらえるのか、それとも世界の終焉と考えるかの解釈の違いが、
西洋人の根底にあるからではないのだろうか。
ただ当然ながら、当然ながら映画というエンターテインメントの枠組み、
しかもハリウッド映画の世界では、前者の作品が圧倒的に多く、
宇宙人襲来という要素をもったものを除いても、
「ノア 約束の舟」、「2012」、「アルマゲドン」、「ディープインパクト」など、
いくつかはすぐに出てくる。
逆に後者は、自分が観たものでも少なく、
「4:44 地球最期の日」、「ノウイング」ぐらいだろうか。
そして今回の「メランコリア」は、この後者のパターンの映画である。
後者のパターンというのは、バッドエンドなだけに、
内容が暗く、時には宗教的要素が濃くなることを避けることができない。
しかも「メランコリア」は、非ハリウッドのデンマーク映画。
テーマの重さと、ヨーロッパ映画特有の雰囲気が組み合わさり、
独特の終末感を表現することに成功していると思う。
映画は、田舎の楽しげな結婚式の場面から始まるのであるが、
新婦の抱える精神疾患が原因で、彼女の世界のリズムが狂いだす。
そして後半に入り、実は未知の惑星が地球に接近している、という話になり、
今度は彼女以外の人々の歯車が、狂い始める。
災害を前にした人々のパニックを描いた映画はいくらでもあるが、
ここまで静かに、美しく、心的世界の変容を描いた映画は、他に知らない。
(「4:44 地球最期の日」はやや近いが、「メランコリア」の美しさとは逆だ)
全編に流れる、「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲が、
時に美しく、時に不気味に、絶妙な効果を上げている。
主役は、キルスティン・ダンスト。
前回紹介した映画でイマイチとしてしまったが、
この作品では、心の悩みを抱えて、最後は悟ったともいえる心境で惑星衝突を受け入れる、
難しい役どころを、見事に演じていると思う。
彼女の冷めた演技と、姉役のシャルロット・ゲンズブールの熱演(特に後半)の対比が、
この映画の見所のひとつにもなっている。
そしてラストの、惑星衝突シーン。
すべてが「無」となるこの瞬間を描いた映画は少ないので、
ここは是非観ていただきたい。
前掲の2作品と比べて、この「メランコリア」のラストシーンは、
出色の出来映えではなかろうか。
(すべては、一瞬、まさに一瞬で終わるのだ)
映画というのは、カメラ(=観客)が、一部始終を客観視しているというのが前提となっている。
けれど「地球滅亡」というのは、劇中世界のみならず、
それを捉えるカメラ自体もなくなってしまう、「完全なる無」へと帰すことであるから、
観終わったあとの、絶望感ともカタルシスともいえる感覚は、
なかなか他の作品では味わえないと思う。
秋の夜長にオススメしたい一本。
適正価格:2,000円(劇場換算)
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