チケットはだいぶ前に買ってあったのだけれど、
ここのところ、休日出勤だったり色々と忙しく、
ようやく足を運ぶことができた。
というか、振り返ってみれば、
最後に美術展を鑑賞したのが、ゴールデンウィーク中の若冲展だったから、
二か月以上、絵画鑑賞を離れていたことになる。
鑑賞眼が鈍っていないか、心配なところではあったが、
そこは目に優しいルノワールでちょうどよかった。
さて、最近つくづくと考えていたことがあって、
それは、芸術作品が、
人間の何らかの感覚に訴えてくるものであることは、言うまでもないけれど、
すぐれた作品というのは、
その「メインの感覚以外の感覚」をも、同時に刺激するのではないか、
ということ。
例えば、音楽は主として聴覚を刺激するものであるが、
すぐれた音楽を聴くと、時としてある種の情景のようなものを脳裏に浮かべることができるし、
素晴らしい料理は舌で味わうと同時に、
視覚や触覚をも魅了してくれる、といった具合である。
絵画でいえば、視覚から入った信号は、
実にさまざまな感覚へと変質する。
聴覚、味覚、嗅覚、触覚・・・
描かれた対象や、描き方により、観る側の様々なスイッチをONにしてくれるのであり、
その体験が、絵を見ることの「気持ちよさ」のひとつにもなっている。
視覚とは、とりもなおさず可視光線のなせるわざであり、
それはすなわち、印象派の画家たちが拠り所としたものである。
そして印象派の画家の中でも、
とりわけ光と色による表現にこだわった、ルノワールの作品を目にすることで、
果たしてどんな感覚のスイッチが入るのか、
そんなことを考えながら、会場を回ってみた。
・「アルジェリア風景、野生の女の谷」

この絵から感じるのは、
焼け付くようなアフリカの暑さと、強烈な草のにおいだろうか。
じっと観ていると、熱気が身に纏わりついてくるような、
不思議な感覚になる。
絵自体は、よくある印象派の風景画なのだけれど、
まさに視覚以外の部分で、観るものを納得させてくれる作品である。
・「草原の坂道」

正面から軽く吹いてくる初夏の風が、
草花の香りと、人々の楽しいおしゃべりを運んでくる、
そんな絵である。
この絵が面白いのは、人物を大胆にも画面中央に配置していること。
画家の意図として、
人物たちを、この草原の風景の一部として溶け込ませようとしているのだろうが、
けれど、定石どおりに端の方に寄せることをせずに、
画面の「ど真ん中」に置いているのだ。
この絵を見て、
正面の坂の上から風が吹いてくるように感じるのは自然だろう。
そうした場合、人々もやはりこの位置を下って来るのでなければ、
風が楽しいおしゃべりをこちらまで届けてくれることはできないことを、
計算した上での構図なのではないだろうか。
そうじゃないと、やはり普通は、この位置には人物を書き込まないだろうし、
これは、画面全体で感覚を刺激するための、仕掛けなのだと思う。
この絵もじっと眺めると、
人物がコマ送りでこちらへと近付いてくる感覚におちいる。
その意味でも、中央に配したのは正解である。
・「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」

言わずと知れたルノワールの代表作であり、
今回の展示の目玉作品。
この絵については、説明不要だろう。
楽隊は左の一番奥にいて、
そこから陽気な音楽が聞こえてくる。
周りは楽しいおしゃべりと、シャンパンやカクテル、
幸福に満ちた休日の午後で、
五感をフルに刺激してくれる。
ルノワールが追い求めていた世界は、
ここに凝縮されている気がする。
彼の特徴でもある、
綺麗な衣服を身にまとい、幸せそうに微笑む女性の肖像画も、
この世界から切り出されたひとコマであるのは、間違いない。
けれども、あらゆる感覚を刺激して楽しませてくれるこの世界が、
欺瞞に満ちたものなのかもしれない、と、気付き始めるのも、
当然といえば、当然の成り行きだったのだろう。
ゆえに、ルノワールは、世界を装飾する衣服を剥ぎ取り、
自然に横たわるありのままの姿を、
晩年は描き続けることになる。
・「浴女たち」

ルノワールが、生涯最後のテーマとした「裸婦像」中でも、
最高傑作と言われているのが、この作品。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」に描かれたような世界は、
刺激的ではあるが、刹那的でもあった。
そこにある「感覚倍増装置」のようなものをすべて破壊し、
永遠的な世界を描こうとして辿り着いたのが、この絵なのではないだろうか。
とはいえ僕は、
ルノワールは、最後までルノワールだったと思う。
モネやゴーギャンのような晩年の変質はそこには見られないのであって、
描いているものの本質は、変わっていない。
ただそれを、感覚を媒介にするのか、
そうではない「永遠的なもの」によって表現するのか、
の違いであるような気がしているのだけれど、
これ以上踏み込むのは、素人には無理なので、やめておこう。
・「道化師(ココの肖像)」「ジュリー・マネあるいは猫を抱く子供」

最後に、
ルノワールを女性を魅力的に描くだけでなく、
子供を愛らしく描くことにも天才的だったのは、
この画家の人柄が表れているのだろう。
断言できないけれど、
おそらくこの画家は、生涯幸せだったのだと思う。
そして、まるで右の子が抱いている猫と同じように、
観る側をも幸せな気分にしてくれるのである。