妻が珍しく外出だというので、
久々に美術館へ。
エゴン・シーレが描く人物画の、
あのエロ・グロで感傷的な表現は、
苦手ではあるのだが、
人でありながら、
植物であるかのような、
超然とした生命力を秘めた、
謎のエネルギーを、
吸い込みたい気持ちがあった。
でも、やはり彼の、
ナルシシズムを押し付けてくる、
人物画はどうしても受け付けない。
なので、必然的に、
植物を描いた作品にばかり、
眼がいった。
ということで、数は少ないが、
それなりに見所のあった3作。
・「装飾的な背景の前に置かれた様式化された花」
これは、まさに尾崎光琳リスペクトなのか。
いや、ウィーンにも琳派がいたと言うべきか。
対象をギリギリまで抽象化することで、
それがもつ美のエッセンスを、
見事なまでに表現している。
あのエロ・グロのシーレが、
一方でこういう技法をもっていることに、
素直に驚かされる。
・「菊」
菊という題材から、
日本を意識していることは明らかだけれども、
菊とか、日本とか、
そういうレベルを超えた、
これもまさに、
抽象の美を描いているのではなかろうか。
前の作品では、
「琳派」という喩えを使ったけれども、
もしかしたら、「琳派」の究極は、
この作品のような表現に行き着くのかもしれない。
対象そのものを超越した、
「美」のみを抽出した表現。
・「吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)」
個人的には、
これはあまり好きじゃない。
この作品は、
この画家の描く人物画の、
植物バージョンとでもいうべきで、
鋭さばかりが目立っていて、
美しくない。
優れた作品だとは思うものの、
単に僕の好みではない。
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とまぁ、
人物画ばかりが注目されるシーレにあって、
敢えて、
植物画に注目してみたわけだけれども、
そもそも植物という存在は、
動物以上に人間に近いのではないか。
シーレという画家が、
そのことをどこまで見抜いていたかは、
知る由もないが、
人物と植物とを、
かくも巧みに描いたという事実は、
彼の作品を理解する、
何らかのヒントになると思っている。