館内には若い女性も多く、
絵を見るたびに、
「かわいい~!」
という声が聞こえ、
堅苦しい美術愛好家であれば、
眉をひそめたかもしれない。
しかし、僕はそうではない。
マティス=可愛い?
その通り。
適確なマティス評だと思う。
そう、
マティスはカワ(・∀・)イイ!!。
では、マティスの何が可愛いのかといえば、
色と形、これに尽きるだろう。
マティスの「色」については、
最早ここで説明するまでもなく、
語り尽くされてきた。
しかし、今回の展示で、
個人的に最も印象的だったのは、
マティスの描く「形」、
より具体的に説明するのならば、
「形」を形作る「線」、
そう、「線」である。
いわゆる伝統的絵画においては、
オブジェ(対象)を存在させ得るのは、
「色」だった。
だから、セザンヌや印象派のアーティスト達が、
色と存在との関係性について、
とことん追求した。
でも、フォーヴの画家達は、
違うアプローチをとった。
これは美術には全くの素人である、
自分の見解に過ぎないが、
フォーヴの画家達にとって、
色は「存在そのもの」というか、
最早、絵画を絵画たらしめるための、
必要条件だったのだろう。
そのために、逆説的ではあるが、
対象を対象たらしめるために、
「線」が必要になったのではないか。
要するに、
「色」はそこにある空気であり、
「線」によって対象が存在し得る、
ということ。
そのことを特に印象付けられたのは、
次の作品である。
・「黄色と青の室内」
色がatmosphereを表し、
線が対象を浮かび上がらせる。
そのことを説明するには、
この作品こそが最適だろう。
・「マグノリアのある静物」
配置や構図について語ることは、
ここでは無用である。
色と線のみによる、
存在感。
・「オレンジのあるヌード」
色と線による存在の追求の行き着く先は、
まさにこの作品であったことは、
十分に納得できる。
まるで禅画のような、
要素を削り落として対象と向き合う、
激しさと大いなる肯定感が、
伝わってくる。
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色と線でもって、
存在を表現しようとするマティスが、
晩年に行き着いたのが、
「切り絵」であったのは、
必然だったろう。
「切る」という行為は、
線を描かずして、
対象を生みだすことであり、
マティスという偉大なるアーテイストによる、
対象を存在たらしめるための長い旅路は、
切り絵において完成したと言っていい。
・「Jazz-運命」
「Jazz」の作品群を揃って観れたのは、
まさに圧巻。
これは余談だが、
鑑賞後の売店で、
「Jazz」をモチーフにしたグッズが、
多数売られている中で、
僕はこの「Destiny(運命)」の、
パネルを購入した。
・「オセアニア、空」
・「オセアニア、海」
空と海。
これらの自然を、切り絵の世界で、
無駄な色を一切使わず、
見事に表現しきっている。
そしてこの展示のクライマックスは、
ヴァンス・ロザリオ礼拝堂の、
4K映像。
これを観るだけでも、
足を運ぶ価値がある。
移りゆく季節と、
その時間の中で、
礼拝堂に差し込む光は、
微妙に変化し、
そして、その光を浴びる、
マティスの作品も、
その表情を変える。
マティスにおける宗教観が、
どのようなものであったかは、
僕には分からないが、
一人のアーティストによる集大成が、
礼拝堂であったということは、
素直に感動せざるを得ない。