茂木 謙之介 / 小松 史生子 / 副田 賢二 / 松下 浩幸 著・編集「〈怪異〉とナショナリズム」(青弓社)
ナショナリズムが高まると、
「従わぬモノ」たちは、
社会の外へと放り出され、

それがやがて、
「怪異」を生むことになる。

そのような、
ナショナリズムと怪異との関係性を、

歴史的事件において、
検証・考察する。

とまぁ、
そんなような内容を、
期待していたのではあるが、

読んでみたら、
大ハズレ。

では、何が期待ハズレだったのかと言うと、

その1:
これは、「がっかり原因あるある」なのだけれど、
これ、論文集なんだよね…。

一冊で芯をもって書かれた著作と違い、
論文集は玉石混交となる。

正直、この本においても、
それってテーマと違くね?
というものが、いくつかあった。

その2:
この本で取り上げられているのは、
「怪異」といっても、
「作品の中の怪異」なんだよね。

例えば、泉鏡花や中井英夫の作品だったり。

その結果、
作品論評やテクスト論に傾いたりと、
結局、テーマから外れてしまうことになる。

その3:
これが最大のポイントなのだけれど、

「怪異」って別に、
特殊でもなんでもなく、

古代から現代まで、
フィクション・ノンフィクション問わず、
当たり前のように存在しているんですよね。

もはや「怪異」は、
我々ヒトの潜在意識に、
埋め込まれていると言ってもいいかもしれない。

同じく「ナショナリズム」にしても、
別に明治維新や戦争期に限らず、

平安時代だって、江戸時代だって、
(自覚していた範囲に差はあれど)
ナショナリズムはあった。

つまり、「怪異」も「ナショナリズム」も、
いつの時代も、常に存在していた。

だから、それを敢えて結び付けようとする、
本書のテーマは、
当たり前っちゃ当たり前なことなわけで、

収められたそれぞれの論文が、
主旨が曖昧だったり、
強引に感じられたりするのは、

そのためなんだろう、
と納得した。

改めて本書の価格を見直したら、
4,000円かぁ。

金額的・時間的コスパは、
かなり悪かったかな。

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