司馬 遼太郎 作「燃えよ剣」上下(文藝春秋)
先月、谷川岳温泉への往路、
上越新幹線の座席に備え付けの冊子を、
何気なく手に取った。

そこにあったのは、
土方歳三による宇都宮城攻防戦。

自分は歴史は好きな方だけれども、
なぜか幕末にはあまり興味がなかった。

当然、新選組・土方歳三の名ぐらいは、
知ってはいたものの、
池田屋事件ぐらいが、
せいぜいの知識だった。

だから、その冊子をみて、
土方?宇都宮?会津?
と疑問をもち、

それが関心へと変わって読み進めたのは、
むしろ自然だったかもしれない。

おそらく文章が良かったのだろう。

それまで、土方歳三なんて、
まるで興味がなかったし、

宇都宮城攻防戦なんて、
何のことやらさっぱりだったのだが、

土方歳三という人物に、
俄然興味が湧いてきた。

と、このブログの日記に書いたところ、
我が父より、
では『燃えよ剣』を読みなさい、と。

・・・・・
ということで、読んだ。

主人公である土方を、
ヒーロー化しすぎている嫌いはあるが、

人物造形は魅力的で、
ドラマ性も豊か、

読んで良かったと思える作品であった。

しかし、小説の世界から一歩引いて、
これを歴史という文脈で眺めるとき、

新選組とは、
何て愚かで哀れな組織なんだろう、
と思えてくる。

剣に生きる男たち、
と言えば聞こえはいいが、

やっていることは、
要するに、殺人集団。

幕末の歴史が、
もう少しスムーズであったなら、

今の日本も、
もしかしたら違っていたかもしれない、
とさえ、思わせる。

まぁ、でも、
当初の目的であった、
土方歳三が何物なるかを知ることはできたし、

幕末における、
幕府・朝廷・諸藩・外国・浪士たちの、

複雑な動きについても、
理解が進んだし、

最近の読書体験の中では、
上位に格付けしたい。
(作家大先生に失礼ではあるが)

作中で頻繁に、
『太平記』の人物が引き合いに出されるが、

確かに、土方歳三という男のカリスマ性は、
日本史上においても、
指折りの存在なのかもしれない。

ただ、生き方を、
少し間違えたよな。

もう少し柔軟な頭と、
わずかながらの政治性があったなら、
とは思うものの、

でもそうなったら、
もはやそれは、
土方歳三ではないのかもしれない。
(その意味では、作中で、
近藤勇と対照的に描かれている)

あ、ちなみに、
近藤勇も土方歳三も、

自分と同じ武州(江戸ではない)生まれとは、
知らなかった。

その辺りも親近感。

そして土方の最後は、
五稜郭か。

いつか一度、
訪れてみたいものだ。

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