第十五番歌

【原歌】
君がため春の野に出でて若菜摘む
わが衣手に雪は降りつつ
(光孝天皇)

【替へ歌】
若菜摘む君の背中に雪片の
触れては消える春まだ浅き野

ここまで替へ歌をやってきて、
ひとつのパターンを発見した。

それは主体を入れ替えるということ。

この十五番歌でいえば、原歌は、
「詠み手=若菜摘む人」
なのに対し、

替へ歌の方は、
「詠み手=若菜摘む人を見ている人」
となる。

原歌の緑と白のコントラストはそのまま活かし、
背中に触れた雪がすぐに消えてゆくという、
ミクロな視点をプラスしてみた。

第十六番歌

【原歌】
立ち別れいなばの山の峰に生ふる
まつとし聞かば今帰り来む
(中納言行平)

【替へ歌】
君を置きていなばの山を振り向けば
遠き松見ゆ恨むが如く

原歌は「往なば=因幡」「待つ=松」、
という掛詞がポイントなのだが、

正直、古臭いというか、
現代人からすると面白くもなんともないので、
これをどう扱うかに結構悩まされた。

これらの掛詞を排除するのは簡単だが、
敢えて残しつつ、

しかも人との別れという、
コンテクストもそのままでチャレンジしてみた。

原歌がやや自分勝手というか、
あなたが待ってるなら帰りましょう、
という空気読めない感があるのに対し、

替へ歌の方は、
振り返ってみたらまるで恨んでいるかのように、
松(=あなたが待っている姿)が見えた、
という相手の心中を察する態度に替えた。

原歌よりもベターな気が(自画自賛)。