「ジャコメッティ展」(@国立新美術館)

アーティストがモノと対峙したとき、そこに何を感じるのか。

カタチ、色、光、そして影、
時代によっても、また絵画なのか版画なのかという手法によっても、
それは異なってくるだろう。

それが彫刻である場合、大半の作り手たちは「カタチ」を意識していたに違いない。

いや、そうであるからこそ、彫刻という表現手法を選択したのだとも言える。

しかし、ジャコメッティという彫刻家については、
すべての感性が「線」であったのではないだろうか。

彫刻家であると同時に、線を表現する

一見すると矛盾しているこのことこそが、
ジャコメッティを理解するためのひとつのカギになるのだと思う。

幸い、彼は彫刻作品の他にも、
多くのスケッチや油彩を残しているので、そこではその特徴が顕著に見て取れる。

例えば、この矢内原伊作を描いたスケッチ。

 「ヤナイハラの頭部」(ジャコメッティ)

執拗なまでに線が描き込まれていて、
まるで一本の長い紐が絡まって、顔というカタチを形成しているかのようでもある。

次は、「アレジア通り」というポスター。

 「アレジア通り」(ジャコメッティ)

こちらはリトグラフであるが、
人の顔だけでなく、風景であっても「線」が表現の基調であることが分かる。

線にこだわった彫刻家による彫刻作品は、
皮肉なことに、形や大きさに対する規制から解放されることとなり、
それがジャコメッティの彫刻の最大の個性となった。

「森、広場、7人の人物とひとつの頭部」

 「森、広場、7人の人物とひとつの頭部」(ジャコメッティ)

「ヴェネツィアの女」

 「ヴェネツィアの女」(ジャコメッティ)

「ヴェネツィアの女」の展示で見所だったのは、
ひとつひとつの像の影が、真後ろに伸びるように光を当てており、
そうすることで、影のフォルムやレシオが、ちょうど「普通の」人物のようになる点だ。

影が実体で、実体が影なのか。
実体は線で、影が形を担うのか。

色々と考えさせてくれる。

対象は人だけでない。

これは「犬」という作品。

 「犬」(ジャコメッティ)

「猫」という同様の作品も展示されているが、
こちらの方が圧倒的に出来映えがよい。

痩せ衰えたネガティブなイメージを想起しがちであるが、
このスタイルこそがジャコメッティの本質だということが分かれば、
敢えてここに「弱った犬」という補足はいらないだろう。

線による生命の表現。

そして圧巻が、「大きな頭部」「大きな女性立像」「歩く男」の3作品。

 「大きな頭部」(ジャコメッティ)
 「大きな女性立像」(ジャコメッティ)
 「歩く男」(ジャコメッティ)

それぞれ高さが、95cm、276cm、183cmというこれらの作品は、
観る者を圧倒すると同時に、敬虔の念に近い気持ちにさせてくれる。

特に「歩く男」の、今まさにどこかへ向けて進んでいる姿は、
力強く、活気に溢れたものであり、
それは細く長い「カタチ」からは想像もできないものである。

まさに「カタチ」ではなく「線」の力で生命を表現しようとした、
この稀有な彫刻家の真骨頂がここにあると言えるだろう。